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以前ニコ生アラート( http://live.nicovideo.jp/alert/ )のクローン( http://fuktommy.com/niconico/ )をPythonで作ったことがあるのですが...

以前ニコ生アラート( http://live.nicovideo.jp/alert/ )のクローン( http://fuktommy.com/niconico/ )をPythonで作ったことがあるのですが、ニコニコアラート( http://alert.nicovideo.jp/ )のクローン( https://github.com/fuktommy/homebin/blob/master/lib/nicoalert.py )も作ってみました。

というのも、僕は昼間は某社に勤務してるのですが、その会社でハッカソン( http://ch.nicovideo.jp/dwango-engineer/blomaga/ar285342 )というイベントがありまして、まあこのリンク先は去年の話なんですけど、今年もあったわけですね。あ、某社と言ってるのは、なんか別の会社の話なんですけど、その会社の社員であるというのをFacebookのプロフィールか何かに書いておいた状態で、取引先だかなんだかを批判したら、その人が怒って会社に文句を言ったらしいという話を聞いたものだから、まあ某社勤務ということにしておけばよかろうと思ったわけですよ、と。そんで、その某社のイベントで、何か好きなプログラムを書いてよいということになったので、まあ普段だったらこういう面倒なことは絶対にやらないので、やってみようかなあとなったわけです。

そんで、ニコ生アラートの仕様書( http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%82%B3%E7%94%9F%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88%28%E6%9C%AC%E5%AE%B6%29%E3%81%AE%E4%BB%95%E6%A7%98 )を読むと、まあさすがにログインはHTTPSなんですね。んで、nicolive_antenna と書いてあるところは、きっとアプリが違うから変わるんだろうというわけで、適当にいくつか試して通ったのがあったのでクリア。余裕ですね。

あとはWireshark( http://www.wireshark.org/ )でパケットキャプチャをしてれば、どういう内容を送信してるかは一目瞭然ですね。コメントサーバーのあたりがよくわからなかったけど、これは仕様書を見れば雰囲気はわかるし、まあ全体としては余裕です。

というわけで作ったのがこのクローン( https://github.com/fuktommy/homebin/blob/master/lib/nicoalert.py )だったりします。エラー処理とかは全然やってないんですけど、それは飽きたからですね。まあ細かいことを抜きにすれば200行程度でクライアントが書けちゃうので、楽ですね。

ニコニコアラートの野良アプリ

お腹に仕事をさせるのは難しい。 例えば単に力を入れる場合、お腹をへこませたり膨らませたり、あるいはよくわからない方法で力を入れることはできるけど、そうすると力を入れる以外の仕事ができなくなってしまう。...

お腹に仕事をさせるのは難しい。
例えば単に力を入れる場合、お腹をへこませたり膨らませたり、あるいはよくわからない方法で力を入れることはできるけど、そうすると力を入れる以外の仕事ができなくなってしまう。
逆に単に力を抜く場合、背中を丸めるとお腹の力を抜くことができるし、そんな極端でなくてもその辺のバランスで力を抜くことができるけど、そうするとやはり歩くこととか、手を使うことにお腹が参加できなくなってしまう。
お腹を平らにする感じとか、それに伴って骨盤を立てる感じ、それに伴って上半身を支える箇所が背中側からもっと前に出てくる感じ、いろいろ関連性があって、お腹に仕事をさせる感じが出てくる。
一応そういう感覚はあるけど、単に力を入れるとか、単に力を抜くとかの方がわかりやすいので、ついついそういった動き・姿勢になってしまう。

指を掴む時点で難易度高そうなんだけど、なんにせよ、相手がまだ本気になる前に、骨が折れようが大怪我しようが知ったことかで全力でダメージ与えようと、覚悟を決める必要があって、まあそれは恥もなにもなくていきなり...

指を掴む時点で難易度高そうなんだけど、なんにせよ、相手がまだ本気になる前に、骨が折れようが大怪我しようが知ったことかで全力でダメージ与えようと、覚悟を決める必要があって、まあそれは恥もなにもなくていきなりダッシュして逃げるとかの方面だったりもするんだろうけど、とにかく大変なことではある。僕とか、なんか奇跡がおきて円満に解決するんじゃないかなあとかグダグダ決断できないうちに、殴られるなりされそう。

Twitter / NIKUO_3: みんな護身術というものをまるで解っていない。 非力な女性が大 ...

自分の体を観察してみると、確かに腰は胸や肩にぶら下がってる感じがある。脚はいまひとつ腰にぶら下がりきれておらず、要らんことをしてる感じ。 歩くとき、胸の中に、脚を動かすための空間を作るというのをやって...

自分の体を観察してみると、確かに腰は胸や肩にぶら下がってる感じがある。脚はいまひとつ腰にぶら下がりきれておらず、要らんことをしてる感じ。

歩くとき、胸の中に、脚を動かすための空間を作るというのをやっていて、急に腰が吊られている感覚がでてきて、なるほど、これが方条さんのいうアレかと気づいた。

吊った状態から歩きだそうとすると辛いのだけど、それは吊るのが悪いということではなくて、自分の求める基準が上がったということに思える。具体的にはもっと股関節や骨盤の角度に注意を払う必要がありそう。

除脚・5(「つるべ」の構造) - ■ 源運動/源武術【 甲章 】■ 武術・身体動作の原理研究

歩き出し( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar548639 )は、先日の稽古会( https://plus.google.com/+%E8%AB%AD...

歩き出し( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar548639 )は、先日の稽古会( https://plus.google.com/+%E8%AB%AD%E7%A6%8F%E5%86%A8Fuktommy/posts/iiLzvTeLm2j )での高柳さんの説明( https://twitter.com/kienkai_info/status/475277320689709057 )を経て、やっぱり体は沈めた方がよさそうだと思いました。ただし、もともと「体を沈める」という言葉でイメージしてたのとは違っています。もともとは、体を沈めることで、足にかかる重さが軽くなるため、足を動かしやすくなるというイメージでしたので、体を沈め、足にかかる重さが軽くなるのを待ってから、足を動かすという感じでした。前にも書いているとおり、これでは遅いです。

それが変わったのは、体を沈めることと、膝や足首を曲げることは同じ動きの別の側面だという気付きがあります。だから膝や足首を曲げることに注目すれば、結果的に体は沈むのであり、ことさらに体を沈めようとする必要はないと表現したわけですが、見方を変えれば、体を沈めることに注目すれば、結果的に膝や足首が曲がるということでもあります。なので、膝を曲げる、足首を曲げる、体を沈めるという別々の側面に注目して、バランスを取って制御するという感じになります。

さて、このときの稽古は非常に珍しく、某さんとずっと2種類の技を稽古してたのですが、そのときの感覚が数日間で発酵してきました。以前に高柳さんが「体の中に空間を作る。それによって大きく動く」というようなことを言ってたのですが、自分の中に「確かに、この感覚はそんな風に説明できるな」というものが出てきました。胸・肩・腹・腰のような胴体のあちこちを動かすことが、具体的なことだと思うんですが、そういう風に動かすというよりも、動かすための空間があるというように認識しているのだと思います。それによって大きく動くというのも、なんかそういう感じがするんですよね。どちらにせよ、これは「そういう風な意識を持つことによって、何か手がかりになる」という種類のものではなく「そういう感覚が出てきたとき、師・先達の言葉と照らし合わせて方向性を確認する」という感じのもののようです。

こういった感覚が出てくると、今までの動きはたぶん見直す必要が出てきて、自分なりに納得できる動きをまた模索していくことになりそうです。例えばドアノブに手を伸ばすところの納得度を10とすると、ドアを引いて開けるときの納得度は5とか、そんな感じなんですよね。あとこの感覚を維持するにはけっこう集中が要って、あまり長時間は続かないとか、ちょっと動いてみると体が慣れた方の動きを選んでしまうとか、あります。どういった稽古をするかなあということも含めて、鉱脈が大きそうな感じではあります。

あと別の視点からいうと、この感覚に基づく動きは、なんというか芝居がかった感じなんですよね。歩き方で芝居がかった感じ( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar539496 )というのもありましたけど、これは上半身の使い方が芝居がかった感じなのです。

ちょっと大きそうな鉱脈

先日の稽古会では半分以上、もしかしたら2/3くらいの時間をかけて、斬込入身と座りの片手両手の柾目返しを某さんと稽古してました。いつもはもっと高柳さんの説明を聞いていろいろやるので、こんな感じの稽古にな...

先日の稽古会では半分以上、もしかしたら2/3くらいの時間をかけて、斬込入身と座りの片手両手の柾目返しを某さんと稽古してました。いつもはもっと高柳さんの説明を聞いていろいろやるので、こんな感じの稽古になったのは機縁会では初めてだし、15年前の恵比寿以来です。稽古内容も、当時そればっかりやっていた柾目返しのバリエーションだったり、正面の斬りの立ち技とも言える斬込入身だったりと、因縁めいたものを感じます。当時は「今日も全然できなかったし、何を稽古すればいいのかなからない(´・ω・`)」となっていたのが、今は全然ヘコまなくなっていて、我ながら驚きました。

朝起きたら右腕が痺れていて、どうも右肩がひどい筋肉痛のようなのですが、それ以上に得るものがあったと思います。

歩き出しについていろいろ考えていました。二転三転した結果、なんとなく考えは落ちつくところに落ち着いた感じがします。 もともとここ最近は、体を沈めることをきっかけにして歩き出すようなイメージがありました...

歩き出しについていろいろ考えていました。二転三転した結果、なんとなく考えは落ちつくところに落ち着いた感じがします。

もともとここ最近は、体を沈めることをきっかけにして歩き出すようなイメージがありました。きっかけでもあるし、もしかしたら動力源なのかもしれません。それが買い物をしているときに「体を沈める→後ろ足を前に出す」という2ステップでは遅いだろうと思いました。ここでは前側にある足を前足、後側にある足を後ろ足と呼ぶことにします。体が沈む前に足を前に出すくらいで、ちょうどよいはずで、このとき連想したのは、右足が沈む前に左足を出せば水の上を歩けるはずだ、という冗談です。そしてそれができないのは、「体を沈める→体が沈んだことを確認する→後ろ足を前に出す→後ろ足が前に出たことを確認する」という、シーケンシャルに手順を確認しようとする傾向があるということです。新しいことを教わったり、自分なりに考えたりするときはたぶん誰でもシーケンシャルにやってるとは思いますが、やはり実際の動きとしては遅くて非効率です。

ではどういう動きだったら体が沈む前に足を前に出すことができるのか。体が沈む動きと、前足でそれにブレーキをかけるのを同時にやってバランスを取り、その間に後ろ足を前に出すというのが、そのときはよいと思いました。ブレーキをかけるというのは、体重を支えるというのとはちょっとイメージが違ってて、支えるというよりも、もっと不安定な感じです。そしてこれを繰り返すことによって歩くことができます。

といいつつ、ここで「支える」というのを別のニュアンスで使うのですが、このときのブレーキの感じをよく観察してみると、足をことさらに踏ん張ったり、床を蹴ったりしなくてよくて、体重を軽く支えるだけなんですね。それは「支えるのではなく不安定だ」というのとは別の話で、「不安定か安定かに関わらず、踏ん張るのではなく支えるのだ」ということなのですが、ボキャブラリーが少なくてちょっと困ります。

さて、そうはいっても時間が経つとコツのようなものは失なわれていき「体を沈める→後ろ足を前に出す」という2ステップに戻っているわけです。そこで再び動きを観察します。すると電車に乗るときに、骨盤まで沈めているから駄目なんだ、沈めるのは腰から上なのだ、と思いました。これはどういうひらめきだろうと思ってもうちょっと観察してみると、骨盤は多機能で、上半身のバランスを取ることもできるし、足を動かすときの拠点にもなっているということでした。骨盤から上を一体のものとして体を沈めると、骨盤は上半身のバランスを取る仕事を行います。そしてそれが終わったあとに、足を前に出すという仕事をします。なので2ステップになるのであり、シーケンシャルに手順を確認するという、心理的なものを持ってこなくても説明がつくのです。そこで、背骨等で上半身のバランスを取るとか、上半身の重みを骨盤を経由して足に流し込むといったようなことを検討してみました。

再び買い物に行き、そういう動きを追及していくと、どうも体は沈むことを拒否しているようだと思ってきました。どうやっても体を沈めようとすると、沈むのを待ってからでないと動けません。また、歩き始めるときには必ずしも体を沈めてはないようです。

というようなことを経て、現時点での結論ですが、体を沈めるのを起点とするべきではないです。足首や膝が曲がるので、結果的に体が沈むということに過ぎません。

歩き出すときには、前の足首を曲げて体を引き寄せるのと、後ろの膝を曲げて足を前に出すのを同時に行います。ここでは足首を曲げる、膝を曲げる、と言ってますが、それはあくまでそう意識してるというだけで、実際にはそれに連動して、前足も後ろ足も、足首・膝・股関節が同時に動くはずです。膝を曲げれば腰が落ちるという当然の働きによって、体がちょっと沈むということになります。脚足にこういう微妙な働きをさせるには、足をことさらに踏ん張ったり、床を蹴ったりすると邪魔になるので、股関節、骨盤、背骨などを調整し、なるべくリラックスできる姿勢にする必要があります。と、ここまで話を展開してきて、なんだこれは高柳さん( http://kienkai.seesaa.net/ )がこないだ言ってたことのパクリじゃないかということになりました。

こういう感じでナイハンチをやってみると、なんか柔くていい感じなんですよね。

歩き出しについて

歩き出しを考える。 膝を抜いて、体が沈み始めるのを待って、後ろ足を前に出すのでは遅い。体が沈む前に足を前に出すくらいで、ちょうどよい。人間の習性としてシーケンシャルに手順を確認しながら動こうとしてしまう...

歩き出しを考える。

膝を抜いて、体が沈み始めるのを待って、後ろ足を前に出すのでは遅い。体が沈む前に足を前に出すくらいで、ちょうどよい。人間の習性としてシーケンシャルに手順を確認しながら動こうとしてしまうが、それは導入のための方便と割り切るべき。

その具体的な方法を考えると、体を沈める動きがありつつ、体が沈まないように前足でブレーキをかけ、そのバランスでまだ沈まないうちに後ろ足を前に出す。その連続で歩く。

前足からさらに考えると、足はことさらに踏ん張ったり、床を蹴ったりしなくてよい。ただ支えるだけ。そう考えるとナイハンチのバランスとか、手の動きもまた柔らかく変わってきて、ああこの動きは見たことあるわという感じになる。

昨日から、骨盤の感覚とでもいうようなものが出てきました。なんというか股関節の上に載ってるヤツで、自分が腰と呼んでいるものよりは下にあるものです。あくまでも感覚的なものなので、物理的に骨盤の角度を変えられる...

昨日から、骨盤の感覚とでもいうようなものが出てきました。なんというか股関節の上に載ってるヤツで、自分が腰と呼んでいるものよりは下にあるものです。あくまでも感覚的なものなので、物理的に骨盤の角度を変えられるかというと自分ではよくわからないのですが、便宜的にこういう表現を使うと、腰を反らせたり曲げたりするのと、骨盤の角度を変えるのを、独立して扱えるようになったわけです。

例えば子供を抱っこするときも、今までは腰を反らせないとバランスが取れなかったのですが、今だと骨盤の角度を変えてやるとバランスが取れるんですね。これは便利です。身体を割るという表現も、なるほどなあと思います。姿勢の調整や、あるいは動くときもそうだと思うんですが、調整の自由度が増すんですね。自由度といっても、最適解はどうだろうということまで考えると、それほど選択肢はないと思うので、自由度という表現も微妙なのですが、より最適な手を選ぶことができるようになると解釈すればよいかなあと。

そしてこういうことから考えると、まだ考えがまとまってないのですが、基本とか初歩とかをどう捉えるかなあと(ここで基本/初歩という言葉を選んでるのは斎藤豊さんのツイート( https://twitter.com/the_river_knows/status/463982023602749440 )からの影響だと思います)。一応「基本/初歩の立ち方」というものがあったとして、じゃあ常にその立ち方で立つのが正しいのかというとそういうわけではないし、動くときは一部立ち方を崩すのが許されるのだという解釈もたぶん違う。あるいは「基本/初歩の動き」が正しくて、試合なりで一部崩して使うことが許されるというのも、やっぱり違うと思うんですよね。あくまでサンプルとして、そういう局面が選ばれているのに過ぎないというか。こういうの直感的にわかる人にとっては最初から常識なんでしょうけど。

あと足の裏が痛いのは整形外科に行ったら予想通りに足底筋膜炎という診断でした。早く良くならないかなあ。

骨盤の角度の調整

えっ、なんでKindle版出てんの? 紙の本買ってしまった。見落してたかと思ったら、1週間前後のタイムラグがあったのか。うーん、こういうことがないように、買うまではしばらく期間を置いた方がいいのかなあ...

えっ、なんでKindle版出てんの? 紙の本買ってしまった。見落してたかと思ったら、1週間前後のタイムラグがあったのか。うーん、こういうことがないように、買うまではしばらく期間を置いた方がいいのかなあ。

甲野先生の独特の科学批判はよくわからないのですが、この本に書いてある(僕なりの理解ですけど)ような「スポーツ科学はトレーニングや指導の現場では無用である」というくらいに範囲を限定すれば、まあそういうこともあるんじゃないですかね、という程度には納得できます。

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