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歩き出し( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar548639 )は、先日の稽古会( https://plus.google.com/+%E8%AB%AD...

歩き出し( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar548639 )は、先日の稽古会( https://plus.google.com/+%E8%AB%AD%E7%A6%8F%E5%86%A8Fuktommy/posts/iiLzvTeLm2j )での高柳さんの説明( https://twitter.com/kienkai_info/status/475277320689709057 )を経て、やっぱり体は沈めた方がよさそうだと思いました。ただし、もともと「体を沈める」という言葉でイメージしてたのとは違っています。もともとは、体を沈めることで、足にかかる重さが軽くなるため、足を動かしやすくなるというイメージでしたので、体を沈め、足にかかる重さが軽くなるのを待ってから、足を動かすという感じでした。前にも書いているとおり、これでは遅いです。

それが変わったのは、体を沈めることと、膝や足首を曲げることは同じ動きの別の側面だという気付きがあります。だから膝や足首を曲げることに注目すれば、結果的に体は沈むのであり、ことさらに体を沈めようとする必要はないと表現したわけですが、見方を変えれば、体を沈めることに注目すれば、結果的に膝や足首が曲がるということでもあります。なので、膝を曲げる、足首を曲げる、体を沈めるという別々の側面に注目して、バランスを取って制御するという感じになります。

さて、このときの稽古は非常に珍しく、某さんとずっと2種類の技を稽古してたのですが、そのときの感覚が数日間で発酵してきました。以前に高柳さんが「体の中に空間を作る。それによって大きく動く」というようなことを言ってたのですが、自分の中に「確かに、この感覚はそんな風に説明できるな」というものが出てきました。胸・肩・腹・腰のような胴体のあちこちを動かすことが、具体的なことだと思うんですが、そういう風に動かすというよりも、動かすための空間があるというように認識しているのだと思います。それによって大きく動くというのも、なんかそういう感じがするんですよね。どちらにせよ、これは「そういう風な意識を持つことによって、何か手がかりになる」という種類のものではなく「そういう感覚が出てきたとき、師・先達の言葉と照らし合わせて方向性を確認する」という感じのもののようです。

こういった感覚が出てくると、今までの動きはたぶん見直す必要が出てきて、自分なりに納得できる動きをまた模索していくことになりそうです。例えばドアノブに手を伸ばすところの納得度を10とすると、ドアを引いて開けるときの納得度は5とか、そんな感じなんですよね。あとこの感覚を維持するにはけっこう集中が要って、あまり長時間は続かないとか、ちょっと動いてみると体が慣れた方の動きを選んでしまうとか、あります。どういった稽古をするかなあということも含めて、鉱脈が大きそうな感じではあります。

あと別の視点からいうと、この感覚に基づく動きは、なんというか芝居がかった感じなんですよね。歩き方で芝居がかった感じ( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar539496 )というのもありましたけど、これは上半身の使い方が芝居がかった感じなのです。

ちょっと大きそうな鉱脈

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