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余談のところから。仮にスクラッチ・スティックが、ナイフのための練習道具だとする。するとスティックの使い方に特化するのではなく、ナイフに繋がる練習でないとよくない。とすると「ナイフに繋がる練習方法はこれ...

余談のところから。仮にスクラッチ・スティックが、ナイフのための練習道具だとする。するとスティックの使い方に特化するのではなく、ナイフに繋がる練習でないとよくない。とすると「ナイフに繋がる練習方法はこれだ」というやり方が伝わっていくのだが、そこにノイズが入ってくる。ナイフに戻して検討しなければ、本当に適切な練習方法なのかどうかはわからない。一方でナイフに繋がる練習方法はこれで、これこそが正しいスクラッチ・スティックの使い方だという価値観も出てきそうだ。

というのが剣道における真剣と竹刀の関係にもあると、中学高校のときは考えていた。今でも、ある程度は当てはまるのかなと思っている。ただしそれだと、戦前に剣道の試合が整備されていく中で技術も洗練されていったらしいところが説明できない気はする。正しい剣道の枠内で、あまり批判を受けない範囲で少しずつ独自の工夫を入れていって、現在のスタイルになったと思えばいいのかもしれない。

ロシア武術の練習用具スクラッチ・スティック - 火薬と鋼

股関節はお尻の中にあるという知識はあったんだけど、感覚的にもそうだなあと急に納得できた。その前提だと、歩き出すときはやはり膝を抜くのがよいと思ったが、まだまだ検討の余地がある。同じ理屈で、腕の付け根は...

股関節はお尻の中にあるという知識はあったんだけど、感覚的にもそうだなあと急に納得できた。その前提だと、歩き出すときはやはり膝を抜くのがよいと思ったが、まだまだ検討の余地がある。同じ理屈で、腕の付け根は胸鎖関節なのだけど、これはまだ実感には至ってない。昨日から検討してて、ちょっとわかってきた気もする。そしてこの辺りを検討すると風邪気味になるという話があって、やはり喉がちょっと痛い。

印象論のみで剣道史を考えてみる 子供の頃にちょっと剣道をやっていたのだけど、剣道は技術が先にある感じがするんですよね。例えばサッカーだとボールをゴールに入れるというルールが先にあって、それに対してドリブル...

印象論のみで剣道史を考えてみる

子供の頃にちょっと剣道をやっていたのだけど、剣道は技術が先にある感じがするんですよね。例えばサッカーだとボールをゴールに入れるというルールが先にあって、それに対してドリブルとかパスとかの技術、あるいは足のどの部分で蹴るかといった技術があるように思えます。もちろんサッカーも、最初はボールを蹴るという動きがあって、そこから競技を作っていっただろうから、ルールが先というのは時間的な意味での後先じゃなくて、印象の上での後先なのですが。

剣道としては「これが竹刀でこれが防具。竹刀で一定以上の勢いをつけて防具を打てばポイントになるので、あとはまあ各自工夫してね」というノリではないわけですよね、現状。「こうやって構えて、こうやって移動して、こうやって打つ。覚えたら相手をつけて試してみましょう」という順序関係になっているわけで。それは剣道に限ったことはなくて、柔道でも「こうやってこうやってこう投げる。覚えたら相手をつけて試してみましょう」というのは同じではあるのですが、柔道や合気道は最初に始めた人がいるわけで、その人が「私のやり方を教えましょう」というところからスタートしているから、それで違和感はないのです。

剣道はそこはちょっと違う歴史なんですね。柔道だって別に嘉納治五郎が全部編み出したわけでもなく、いろんな人が道場で研究した結果ではあるのですが、嘉納治五郎の責任として世に出ているという面があります。剣道の技術自体は、どうも江戸時代に防具と竹刀が開発されて、これを使ってこういう稽古をしましょうというのがベースになって、そのあと他流試合が活発になることで洗練されて、大正以降に試合のルールが規定されることでまた進化して、という発展をしたと思ってるのですが、その過程で「この人こそが剣道の創始者だ」という存在感のある人はいないと思ってます。

どちらかというと、明治時代に剣術が下火になったので、これはまずいということで全国の剣術家が大連合を組んだ結果出来たのが剣道だというストーリーが強いと思います。実際にはそこで中心的な役割を果たして、剣道に自分の剣術の要素を残した人もいるだろうし、剣道に置き換えられて失われた剣術もあったと思います。どちらにせよ「柔道は嘉納式格闘術がベースになっている」「合気道は植芝式格闘術がベースになっている」というような大雑把な表現を剣道にあてはめて「○○式剣術だ」とは同じニュアンスでは言えないんですよね。

そういう歴史であれば、剣道のやり方というのも1つではなくて、この人はこうやってる、この人はこうやってる、その連合体が剣道だ、という形になっていてもよさそうなのに、実際そうなっていない。なぜだろう、という疑問です。別の切り口としては、剣道の人が中国の剣術の人と他流試合をしてみたといったエピソードを読んで、その時は2人とも竹刀を使ったとのことだったけど、この中国の剣術は剣道のなかでどう位置付けられるのだろうかと思ったことがあります。こういったのが子供の頃から持っていた疑問です。このニュアンスが伝わるでしょうか。

今の剣道のやり方が一番強いからだ、というのは1つの答えなのでしょうが、だからといって他のやり方を認めないのはそれだけでは説明がつかないです。他のやり方を認めないと明示的に説明されたことはないと思うのですが、立ち方歩きかたから順に組み上げられていく体系をみると、そういう雰囲気を感じるなあというのが当時の僕の印象でした。

実際のところ「これが正しい剣道であり、他のは邪道である」と考えている人はいるようです。人数とは関係なくそういう人が目立つだけという気もしますが、「他のは邪道である」とか「他のやり方があるとは思わなかった」という印象を受けるんですよね。という印象に基づく問題提起です。それに対して、なぜそうなったかというのを特に史料を調べたりせず印象論で書いていきます。

ある剣道の先生が著書で「自分の子供の頃(=戦後)はもっと剣道には個性があった。今は画一的でよくない」というようなことを延べていました。といっても読んだのは20年前で、数年前にもういちど読んだとかその程度。なので画一的になったのは戦後のできごとかもしれません。とはいえその本は「剣道の立ち方はこうするのが正しい。一方これはよくない例」というような内容がメインであり、よくない例であって個性とは考えてはいないんですね。○○地方の○○流ではこうやっていた、この立ち方には意味がある、という可能性があってもおかしくないけれども、そのあたりを考慮してないように思えました。とはいえ相対的に昔の方が多様性があったというのはありそうな話です。

ちょっと時代を戻れば、軍事訓練の一貫として剣道が捉えられてたはずなのですが、よくわからないのでパスします。もうちょっと戻って、大正始めに学校教育に剣道が取り入れられるあたり。ここでは日本剣道形が制定されたりしてるのですが、このときは相当揉めたっぽいのに、竹刀稽古のやり方を定めるのに揉めたという話を聞きません。定めようとしなかったのか、既に差異は少なくなっていて議論の余地がなかったのか、どちらかではないかと仮定しておきます。このあたりで高野佐三郎は、剣道形の制定にあたっては相手と差し違える覚悟で委員会に臨んだいうエピソードがありますし、もうちょっと後の話だけど「最近の学生の試合を見ているがあんなのは駄目だ」といったことを言っている剣道家が複数いたようなので、この時点で既に正統派の剣道、正しい剣道という意識はあるように思うんですね。そういう意思の強い人たちが剣道界を牽引していたので、それぞれの人が「これが正しい剣道だ」として指導していたために、そういう意識を持つ人が増えたのではないかという気もします。

あるいはその頃には柔道が普及してますので、柔道を見習って1つの強力な技術体系を作ろう、それ以外のものは捨ててよし、という判断をしたのかもしれません。その辺はよくわからない。ただ、まず剣道をやってその後に古流をやればいいというのは確か高野佐三郎の著書にあった気がするので、剣道と、それと矛盾しない範囲での古流というので1つのカテゴリーを作って、そこに収まらないものは居合と杖術で吸収して、そこにも収まらないものは無視するということを、意識的にか無意識かにやったのではないかという気もします。

明治時代の剣道の動画を観ましたけど、これ戦後の動画とあまり雰囲気違わないですし、僕のやってた剣道の稽古ともあまり違わないですから、少なくとも普段の稽古の技術的なところはあまり変わってないように思うんですよね。ただしこれが正しいもので、その他のが邪道だということで教えられていたかどうかはわかりません。

江戸時代だと割とスポーツ感覚で剣術をやってたっぽいという話もあります。これはあまり正統派・邪道という感覚には馴染まない印象があります。とはいえ幕末になって軍事訓練であるとか、治安維持であるとかの目的が出てくれば、自分なりにやって楽しむというよりも、とにかく強くなれる方法を学びたい・学ばせたいということにりますので、その方法こそが正統派だという意識は出てくるかもしれません。

江戸時代前期まで遡ると、無住心剣術の伝書で「他所のは邪道である。我々の方法が正統派である」というようなことが書いてあるわけで、これが無住心剣術の特徴なのか、あるいはどこの流派でも「他所のは邪道である。我々の方法が正統派である」という意識でいたのかは興味のあるところです。仮にどこの流派でもそう思っていたとしても、それはそれで自然な気がします。下手したら死ぬかもしれないような他流試合をして生き残ってきた人たちばかりなので、そりゃ自分の方法には絶対の自信があってもおかしくないです。可能ならその方法を全国に広めたいと思っていたかもしれませんが、時代が時代なのでそう簡単には広まらないわけです。江戸時代を通じて剣術家がそういう意識を持っていたとして、明治大正になってやっと剣道の全国的統一の気配が出てきたとしたら、その正しいと思っている自分のやり方を広めようとするのは当然、という考え方もできます。

というわけでやっぱりよくわからないというのが正直なところなんですよね。そもそも剣道に固有の話かどうかすら印象でしかないですからね。

印象論のみで剣道史を考えてみる

FeedBurner から twitter に流して、そこから Facebook に流してるんだけど、FeedBurner から http://dlvr.it を経由して Facebook に流して、...

FeedBurner から twitter に流して、そこから Facebook に流してるんだけど、FeedBurner から http://dlvr.it を経由して Facebook に流して、そこから twitter に流すようにしてみた。しばらく試してみよう。いや、Facebook 経由では twitter には流れないのか。

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「これが正しい剣道でそれ以外は邪道」の由来、なんとなく明治以降の出来事だと思い込んでたけど、もしかしたら江戸時代前期まで遡るかも。多数の流派があることは、多様性を認めることには繋がらないかもしれない。...

「これが正しい剣道でそれ以外は邪道」の由来、なんとなく明治以降の出来事だと思い込んでたけど、もしかしたら江戸時代前期まで遡るかも。多数の流派があることは、多様性を認めることには繋がらないかもしれない。例えば無住心剣術では、他の流派はフェイント使ったりして邪道だ、我々のが正統派だと評価してたという。この考え方がもし一般的なもの、つまりどの流派でも自分のところこそ正統派であとは邪道だと考えていたとしたらどうだろう。自分のやり方が正しく、あとは邪道だとする人が多ければ、剣道の全国組織を作った時点で誰がトップになろうが、そのやり方に統一されていくのは時間の問題だろう。それが浸透するまでに数十年かかったということに過ぎないのではないか。

膝を抜くというと、僕には脚の前後の動きというイメージがあるけど、今日気づいたのは脚を左右に使う抜きで、膝というよりは股関節の抜き。抜く動作の感覚と、抜きやすい立ち方の感覚が一緒。片足で立つと上げた足の...

膝を抜くというと、僕には脚の前後の動きというイメージがあるけど、今日気づいたのは脚を左右に使う抜きで、膝というよりは股関節の抜き。抜く動作の感覚と、抜きやすい立ち方の感覚が一緒。片足で立つと上げた足の方に倒れてくるけど、その時に股関節を緩める感じか。ナイハンチはこの動きの稽古に使える。角度が違うだけで、サンチンでも稽古できそう。普通に歩くなら、爪先は若干左右に開いた方がしっくりくる。ドアの開閉もしっくりくる。ここ数日は稽古する気が起きず何もしてなかったが、体はいままでの使われ方に不満があったんだろうな。

いくつかの記事に分散して書いてるからいつかまとめないといけないのだけど、 要は高野佐三郎先生あたりが「これが正しい剣道だ」と言って教えていたから、 正しい剣道という発想になったんじゃないかという気がしてき...

いくつかの記事に分散して書いてるからいつかまとめないといけないのだけど、
要は高野佐三郎先生あたりが「これが正しい剣道だ」と言って教えていたから、
正しい剣道という発想になったんじゃないかという気がしてきた。
その辺これといって根拠があるわけでもないのだけど、
差し違える覚悟で剣道形の制定委員会に臨んだという逸話をきくと、
剣道にもいろんなやり方があってどれもよいものだ、みたいな発想ではなくて、
自分の信じる正しい剣道を広めねば、みたいな迫力を感じる。
だから考え方によってはたまたま高野先生がそういう人だったからということでもあるけど、
そういう強い意思のある人でなければ当時の剣道界を牽引する仕事はできなかっただろうから、
必然ではあったんだろうなあと。

現代剣道の成立と平行足の成立に関する話

"例の明治の撃剣映像" って The first kendo motion picture - from 1897 のことかな。主観だけど、今の剣道とあまり変わってないと思うんだよな。 やはり細かい...

"例の明治の撃剣映像" って The first kendo motion picture - from 1897 のことかな。主観だけど、今の剣道とあまり変わってないと思うんだよな。

やはり細かいことは各自が工夫すべしというのは、よっぽど強く制度に組み込んでおかないと、先生のやるようにやるとか、強くなれるやりかたでやるとか、複合で伝統が作られていくとかになるのかなあ。そういう意味ではあまり不思議というわけではない。

現代剣道の成立と平行足の成立に関する話

大日本帝国剣道形の制定の経緯については僕はけっこう不思議に思ってるのだけど、 「学校の体育で教えるので形が必要だ」という発想がピンと来ないのと、 形の制定のときは相当揉めたっぽいのに、 竹刀打ち込み稽古...

大日本帝国剣道形の制定の経緯については僕はけっこう不思議に思ってるのだけど、
「学校の体育で教えるので形が必要だ」という発想がピンと来ないのと、
形の制定のときは相当揉めたっぽいのに、
竹刀打ち込み稽古の方法についてはそんなに議論した記録がないように見える。

竹刀稽古については各自の自由に任されていたので
統一した指導法を作ろうという発想がなかったのか、
あるいは既に事実上統一されたような状態だったので議論の余地がなかったのか、
どっちかなのだろうか。
そうなると流派のアイデンティティは形に持ってくるしかないので、
剣道形の制定では激論になったのだろうか。

それとも旧制中学の剣道の授業では形稽古がメインだったのだろうか。
あるいは当時はまだ形と竹刀稽古の違いが小さかったのだろうか。

それとは直接の関係はないけど、現代の剣道が、
道具とルールは決めるので、細かいことは各自で工夫してやってね、
という方式ではなく、かなり細かいところまで決められているのも、
不思議なんだよな。

脚を棒立ちのようにして力が入らないようにして歩くという動きに気付いて、これもまたどう表現していいかわからないのだけど、猫科動物がしなやかに走るのの逆な感じなのが面白い。いろいろ検討していると、その感覚...

脚を棒立ちのようにして力が入らないようにして歩くという動きに気付いて、これもまたどう表現していいかわからないのだけど、猫科動物がしなやかに走るのの逆な感じなのが面白い。いろいろ検討していると、その感覚は腕でもできることがわかった。実感に一番近いのは「固い動き」なのだけど、この表現は指すものが多いので、あまり適切ではない。自分の知ってる武術の用語だと、たぶん「遊びを取る」という表現にあたるものだと思う。「うねりを出さないようにする動き」ということでもある。

腕や手だと、適当に動かす場合にはその状態のまま動けるのだが、ドアの開閉などで実際に力を出すとなると、なかなかそうもいかず、体が緩んでうねりの動きになってしまう。なかなか難しい。いろいろ検討しているが、おそらくは腿・上腕・前腕の外旋・内旋を使ってバランスを取るのがよさそう。こういう手足の使い方は例によって機縁会( http://kienkai.seesaa.net/ )の稽古会でさんざん聞いているし、何度も「そうだよな、外旋・内旋だな」と思うこともあるが、実感するにはそれなりのタイムラグがあるのは仕方がない。

最近気になってるのはしゃがんだ状態からどう立つかということで、よく膝がミシミシいうので、決定的に負担がかからないうちになんとかしたい。しゃがむときから、立つときのことを考えてバランスよくしゃがめば、それは無理なく立てるが、そうでなく適当にしゃがんだ状態からどうするかということ。これも前回の稽古会で聞いてきたのをベースに検討して、しゃがむとお腹が折れた状態になるので、まずこれを適当に延ばしてやると、それでバランスがよくなって、楽に立てる。遊びを取る状態を保つにもお腹のバランスが重要っぽいが、お腹のバランスは取ろうと思って取れるわけでもないので、なかなか難しい。

前はたぶん一番気になっていた、歩き出しについては、実は今それほど気にならなくなってしまった。歩き出しに注目するというよりも、歩き出しやすい立ち方をしようということがメインになっている。片足を上げてもあまりバランスが悪くならない立ち方をしようということで、とりあず片足を上げて前に出せば歩けるという感じになっている。一旦腰を沈めるのがいいか沈めないのがいいかとか、重心を前に出すことを中心に考えるか足を前に出すことを中心に考えるかというのが、自分の中で長いことの検討課題だったが、腰は意識的には沈めないし、重心のことは考えずに足を前に出すことを考えるというのが、今のところの結論になっている。将来的にもそうなのかはわからない。

以前に半身、確か左半身が妙に緊張するという現象があったのだけど、最近は右半身が緊張することがある。体の感覚を観察すると、なんかバランスが悪くなっているのだけど、どう悪くなっているのかが今いちわからない。リュックサックを背負ったときになりやすいので、左右のバランスというより前後のバランスかもしれない。なんとなく右肩を後ろに引いたら改善した気がする。ちなみに今はこの文章をPCで打っているが、左肩が凝っている。前にも書いた気がするが、局所的に違和感があったら、全身にその違和感を散らしていこうと思っている。違和感がない方がいいとは思うが、一部分に集中するよりは分散させた方が、その部分を痛めないような気がするので。

そういえば高柳さんのツイート( https://twitter.com/kienkai_info/status/527117127648432128 )をみて思ったのが、ドアを開閉する場合には「現時点の開閉はイケでないなあ、もっといい方法はないだろうか」という意識でやってて、鍋を持つ場合には「あの方法を応用してこう持てばいいな」という意識で、割と別のものになっている。サンチンやナイハンチの型を稽古するときは、そのときどきに応じてどっちかの意識でやってる。屏風座りなんかは鍋の方。歩き出しは以前はドアで、今は鍋。人によっても、いくつもある稽古法のうち、どれをドアにしてどれを鍋にするかは様々なのだろう。

遊びを取る動き

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