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これけっこう重要な指摘だとは思う。 例えば剣術であれば江戸時代を通じて、小手、面、胴・垂の順で発明されていったらしいのだが、つまりこの時代には「胴はルールにない防具だから使うな」という考え方はなかったか...

これけっこう重要な指摘だとは思う。

例えば剣術であれば江戸時代を通じて、小手、面、胴・垂の順で発明されていったらしいのだが、つまりこの時代には「胴はルールにない防具だから使うな」という考え方はなかったか、少なくとも主流ではなかったということだろう。相手が胴をつけてなければ胴は打たない、みたいなルールだったようだ。

弓術でいえば、江戸時代には通し矢専用の弓矢が開発されたし、つまりこの時代には今のようには弓矢の素材や重さについてのルールは厳しくなかったということだろう。

つまりどこかのタイミングでルールの厳格化が始まったということだろうし、おそらくそれは「この武道はこういう道具を使ってこういう技術でやる」というようなイメージができあがってくるのが先行してたんだろうとは思う。

なんとなくは、明治以降に、帯刀の習慣がなくなるという変化だったり、全国的な組織づくりだったり、時代としての中央集権傾向だったりの影響で、それまでは明文化されたルールがなくて各自がなんとなくやってたのが、ルールを作って競技として統一していきましょうという流れになったのではないかと想像しているが、裏付けはない。

武道用具は進化しているか否か

狼少年というかエナジードリンク的というか、例えば「これが実現できたらすごいことになりますよ」ってみんなを引っ張っていくタイプのリーダーシップってあるでしょう。それは例えば大きな売上を上げる企画だったり...

狼少年というかエナジードリンク的というか、例えば「これが実現できたらすごいことになりますよ」ってみんなを引っ張っていくタイプのリーダーシップってあるでしょう。それは例えば大きな売上を上げる企画だったり、将来の開発をやりやすくするリファクタリングだったり、まあいろいろ。でも蓋を開けてみると対した効果が出ないとか、まあそれは単に期待外れなんだけど、「結局この程度の効果にしかなりませんよね」「ああそれでいいんだよ」的なすれ違いがあって、そういうの度々あると、その人の言うことを本気では聞けなくなるし、長期的にみてよいことではないと思う。

例えば片手を持たせる稽古で、「こんなん腕だけでヒョイですよ」と(できもしないのに)やりたがるのは見栄だし、見栄のためにあえて雑にしてるとも言える。恥も外聞もなく、全身を動員すべきだし、こういう言い方は...

例えば片手を持たせる稽古で、「こんなん腕だけでヒョイですよ」と(できもしないのに)やりたがるのは見栄だし、見栄のためにあえて雑にしてるとも言える。恥も外聞もなく、全身を動員すべきだし、こういう言い方は好きではないが、それは丁寧な動きであるべき。恥を捨ててまでかかって、それでも技が効かなかったらどうしようという思いも捨てられたらなおよいだろうが、そうしようと決意してできるものでもなし。

子供の頃に剣道をやってたけど、思い返してみると、剣道における攻防の一分野がそっくり抜けている気がする。先生としてはもっと上達してからその辺を教えようとしていたのかもしれないし、教えてくれてたのに耳に入...

子供の頃に剣道をやってたけど、思い返してみると、剣道における攻防の一分野がそっくり抜けている気がする。先生としてはもっと上達してからその辺を教えようとしていたのかもしれないし、教えてくれてたのに耳に入ってなかったのかもしれない。

習ったのは個別の技でいえば、小手面だったり面引いて胴だったりの連続技と、面抜き面と面返し胴の応じ技。小手と胴の応じ技もあったけど、打ち落としだったかな、あまり記憶に自信がない。

それを元に地稽古をすると、

1. 相手が構えているところに小手面か面を打っていく
2. 相手もそうするから鍔迫り合いで膠着する
3. 体当たりで突き放して下がりつつ面か胴を打つ
4. 最初に戻る

という攻防になる。場合によっては片方の反応が間に合わなくて打てる場合もある。また場合によっては片方が応じ技を選んで綺麗に決まったり、不発になって膠着したりする。

だいたいこんな感じだけど、20年前のことなので単に覚えてないだけかも。

もっと後になってからウェブや動画で知ったのだが、最初のところで相手に隙を作らせる攻防とか、相手が攻撃しようとする隙をつく攻防があって、(上級者の?)剣道では特に大事にされているらしい。

確かに相手が構えているところに正面突破で突っ込んでいくの意味不明で、相手が竹刀をそのままにしてたら突かれる。突きはなしだから稽古が成立するけども。当時からなんとなく疑問だったけど、そういうものかと思ってた。

上級者になったら中心の取り合いのような高度なことをすればよく、初心のうちは飛び込んでいく体力や勇気を養うということだったのかもしれないが、今となっては真意はわからない。

剣道についてちょっと雑談することがあって、 某氏「剣道のこういう技だけど」 僕 「うーん、その技は習ったことないですね」 某氏「じゃあ、これは初歩の技だから知ってるでしょ」 僕 「その技も習ったこと...

剣道についてちょっと雑談することがあって、

某氏「剣道のこういう技だけど」
僕 「うーん、その技は習ったことないですね」
某氏「じゃあ、これは初歩の技だから知ってるでしょ」
僕 「その技も習ったことないですね」

某氏「剣道ではこういう風にやるでしょ」
僕 「うーん、YouTubeで見たので知識はあるけど、習ったことはないですね」

という感じで、その人のやっていた剣道が特に高度なのかもしれないけど、僕が習ってた剣道が相当に偏っていた可能性が出てきた。まあ習ったことをどんどん忘れているのかもしれないけど。

そういえば「剣道の歴史」を買って読んだのだった。「江戸時代に各地で独自の流儀が発達したのが特殊なのであって、その理由がなくなれば技術は統一されるのが自然」というような主旨の記事があって、半分くらいは納得...

そういえば「剣道の歴史」を買って読んだのだった。「江戸時代に各地で独自の流儀が発達したのが特殊なのであって、その理由がなくなれば技術は統一されるのが自然」というような主旨の記事があって、半分くらいは納得した。それでも、なぜその技術を「正統派・正しい剣道」として扱うのかはちょっとよくわからず。しばらくしたらまた読んでみよう。

あんま関係ないけど、剣道だけじゃなくて弓道も、これはもう外野から見てるだけなのだけど、「正統派・正しい弓道」観があるようで、もしかすると道具を使う武道は、単に「○○を使う武道なので○道」という大雑把な括りではなくて、技術が統一されていく何かの理由があるのかもしれない。素手の武道は、柔道とか空手とか、別々の名前がついたから個別に成立しているのかもしれない。

: 剣道の歴史: 全日本剣道連盟: 本

膝を抜く、という表現が正しいのかは微妙なところだけど、抜く感じの脚の使い方が、ここ3週間くらいでいろいろ変化しているので、メモを頼りに書き出してみる。 まず先月末のあたりでは、歩き出しのときに膝を抜...

膝を抜く、という表現が正しいのかは微妙なところだけど、抜く感じの脚の使い方が、ここ3週間くらいでいろいろ変化しているので、メモを頼りに書き出してみる。

まず先月末のあたりでは、歩き出しのときに膝を抜かない方がよく、立った状態で体重の半分を支えている脚が、体重全体を支えられるモードに違和感なく変化するとよいと考えていた。なんというか、膝を抜くのはそれ自体が目的ではなくて、何かの動作のためなので、「よし膝を抜こう」というような意識があるとかえってよくないとは思う。なので、このときの考え方には、それはそれで意味がある。

今月頭時点で気付いたのは、股関節の前側のあたりを緩めることで、左右方向の動きを作るということ。膝を抜くという言葉からは前後方向の動きを連想するのでそれとは違うし、股関節の動きではあるが膝はあまり意識しない。でも全体的には「抜く」感覚ではある。動き出すときに緩めて初動を作るというのもあるが、そういう使い方をしやすいように立つ姿勢を考えると、常にこの緩みを保つような感覚になってくる。最初から緩んでいたら効果がないようにも思うが、実際にはそうではないので不思議。

それから10日くらい経つと、注目の対象が前側じゃなくて、股関節そのものに移ってきた。股関節はお尻の中にあるわけだけど、感覚的にもお尻の中にあるなあというのが急に実感できた。となると脚は外から見える付け根よりももっと上、もっと後ろから動くということでもある。この場合の歩き出し方はなかなか表現が難しいところで、メモには「膝を抜く」とか「上半身が股関節から前傾する」とか書いてあるが、いまいち実感とは合わない。まあいろいろ模索していた。

膝を抜くと足首が曲がるから、それで重心が前に出て歩く、というわけではない、というメモがある。どちらかというと、立つ脚の状態から、歩く脚の状態に移るために膝を抜くということであるらしい。そして重心を前に出すのは上半身の前傾と書いてあるが、実際には前傾しそうになるところを腰が追い付いてくるから、前傾というわけではない。

このあたりで機縁会( http://kienkai.seesaa.net/ )の稽古会に参加して、いろいろ持ち帰る。この日の帰りに気付いたのが、「足を前後に開いた状態から歩き出す」のと「歩く動きの中で両足が地面についている状態」は同じことだということで(実際には同じというのは極端で、似ているという程度)、これを実感するために、両足で地面を押してジャンプするように歩いて帰った。

この経験からいろいろ検討すると、歩き出しはいったん2つの状態で分けて考えるとよいということがわかった。足を前後に開いているなら、両足を活用しての体重移動が初動になる。足を揃えているのなら、片足を前に出すことで体重移動を先導する、という2パターンになる。歩いている状態で考えると、片足を上げているときにはとにかく足を前に出して着地することを優先し、両足が着地しているときは体重移動を優先する、ということになる。それを再び歩き出しに戻すと、足が揃っている状態からは足を出して足を前後に開いた状態に持っていくということだし、足が前後に開いている状態からは体重を移動して足が揃っている状態に持っていくことだなと。ここまで考えると、2パターンあるが原理は1つだということになる。

どちらの場合も原動力は膝を抜く、あるいは体を沈めるということで、どういう原理かわからないが、こうすることで足が動く。これはシーソーの片側を押したらもう片側が上がるといった原理であるべきで、体を沈めることで脚がバネのように縮んで、その反動で歩く、といったタイムラグのある原理ではない(という好みの問題)。

ただし体を沈めるというのはいつでもやりやすいわけではなくて、立ち方によって、やりやすかったり、やりにくかったりする。別の考え方をすると、立ち方によって、そこからどう体を沈めるかというバリエーションがあるようだ。体を沈めるのは、とにかく勇気を出してエイヤッと沈めても歩き出せるのだが、それはしたくない。とりあえずはゆっくりと、どの方向に沈めるのがいいかなと探りながらやっていくことにする。そのことで気付いたのだが、沈めるのは自由落下に例えられることもあるが、もっとゆっくりでよいということでもある。

ちょっと話題が変わるが、脚がお尻の中から動くのであれば、やはり腕は胸鎖関節から動くべきだろうと、これも理屈は前から知っているが、どうにか実感できないかと思ってちょっとやってみた。いくつかの限定された動きであれば、そうかもなあという感覚があるが、なかなか掴みづらい。そしてこの稽古をすると風邪を引くという言い伝えがあるが、実際にしばらく喉が痛くなった。

歩く系とは別の脚の使い方だが、ドアの開閉などで、力を腕で出すのではなく、腕は力の伝達器官と割り切って、脚の力で行うというのを試している。これはこれで安易な方向に流れそうな動きではあるのだけど、体がそういう使い方を試したがっているので仕方がない。そして気付いたのは、初見のドアだと今までの腕の使い方を選んでしまうし、家や職場のドアだと、新しい体の使い方を選ぶということ。もうちょっと細かい制御ができればまた違ってくるとは思うのだが。

脚の使い方の変化

人間はどうでも良いけど人類が導いた科学文明が好きなんだよな 数を発明したこととか 数を使って数式を組み立てたこととか 数式で世界を構成している理を解き明かしてきたこととか そういう偉大な歴史の結果にある...

人間はどうでも良いけど人類が導いた科学文明が好きなんだよな
数を発明したこととか
数を使って数式を組み立てたこととか
数式で世界を構成している理を解き明かしてきたこととか
そういう偉大な歴史の結果にある科学文明は奇跡だと思うしとてつもなく愛おしい
人文系とか芸術系とか人間が評価してきたものに関しては究極的には興味ない

宇宙が膨張を続けて太陽もいずれ死を迎えるっていうけど
人類が滅亡することも多少は悲しみがあるけど
何より悲しいのは人類が構築した公理系が失われることなんだよな

歩き出し。 足を前後に開いているなら、体重の前移動が先導する。足を揃えているなら、足を前に出すのが先導する。 どちらも体を沈めるのが初動。ただし体を沈めるのと前に出ていくのは機械的に繫がっている。...

歩き出し。

足を前後に開いているなら、体重の前移動が先導する。足を揃えているなら、足を前に出すのが先導する。

どちらも体を沈めるのが初動。ただし体を沈めるのと前に出ていくのは機械的に繫がっている。順番に行うのでもなく、同時進行でもない。シーソーの片側を下げたらもう片側が上がるようなもの。

体を沈めやすい立ち方と、そうでない立ち方がある。あるいは立ち方に応じた、体を沈めるやり方がある。

歩き出すときの力は股関節の内旋外旋が主体。

この原理は歩くときにもまた対応している。足の進む速度と、胴体の進む速度は別々に意識する。そうすることで両足を地面につけてる時間を長くし、左右の股関節の内旋外旋の力を主体にして胴体を前に進める。

歩き出し。今日の稽古会で習ったことの影響が強いとは思うけど、ちょっと面白い動きが出てきた。膝を曲げてからその場で両足跳びするのと同じ要領で、膝を曲げてから伸ばす勢いで胴体を斜め上に押し上げて歩き出す。...

歩き出し。今日の稽古会で習ったことの影響が強いとは思うけど、ちょっと面白い動きが出てきた。膝を曲げてからその場で両足跳びするのと同じ要領で、膝を曲げてから伸ばす勢いで胴体を斜め上に押し上げて歩き出す。歩くときも両足が地面につくタイミングがあるので、同じように両足で胴体を押し上げる。これは僕のイメージするいい感じの歩き方とは全然違うのだけど、体がこのやり方に興味を示してるので、この方向を追究するしかない。

そして一番面白いのは、感覚的には今書いたように膝の屈伸を原動力にしているのだけど、よくよく自分の動きを観察すると、股関節の内旋外旋を原動力としていること。この点は稽古会で習ったことがそのまま反映されてる。

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