これけっこう重要な指摘だとは思う。 例えば剣術であれば江戸時代を通じて、小手、面、胴・垂の順で発明されていったらしいのだが、つまりこの時代には「胴はルールにない防具だから使うな」という考え方はなかったか...
これけっこう重要な指摘だとは思う。
例えば剣術であれば江戸時代を通じて、小手、面、胴・垂の順で発明されていったらしいのだが、つまりこの時代には「胴はルールにない防具だから使うな」という考え方はなかったか、少なくとも主流ではなかったということだろう。相手が胴をつけてなければ胴は打たない、みたいなルールだったようだ。
弓術でいえば、江戸時代には通し矢専用の弓矢が開発されたし、つまりこの時代には今のようには弓矢の素材や重さについてのルールは厳しくなかったということだろう。
つまりどこかのタイミングでルールの厳格化が始まったということだろうし、おそらくそれは「この武道はこういう道具を使ってこういう技術でやる」というようなイメージができあがってくるのが先行してたんだろうとは思う。
なんとなくは、明治以降に、帯刀の習慣がなくなるという変化だったり、全国的な組織づくりだったり、時代としての中央集権傾向だったりの影響で、それまでは明文化されたルールがなくて各自がなんとなくやってたのが、ルールを作って競技として統一していきましょうという流れになったのではないかと想像しているが、裏付けはない。
例えば剣術であれば江戸時代を通じて、小手、面、胴・垂の順で発明されていったらしいのだが、つまりこの時代には「胴はルールにない防具だから使うな」という考え方はなかったか、少なくとも主流ではなかったということだろう。相手が胴をつけてなければ胴は打たない、みたいなルールだったようだ。
弓術でいえば、江戸時代には通し矢専用の弓矢が開発されたし、つまりこの時代には今のようには弓矢の素材や重さについてのルールは厳しくなかったということだろう。
つまりどこかのタイミングでルールの厳格化が始まったということだろうし、おそらくそれは「この武道はこういう道具を使ってこういう技術でやる」というようなイメージができあがってくるのが先行してたんだろうとは思う。
なんとなくは、明治以降に、帯刀の習慣がなくなるという変化だったり、全国的な組織づくりだったり、時代としての中央集権傾向だったりの影響で、それまでは明文化されたルールがなくて各自がなんとなくやってたのが、ルールを作って競技として統一していきましょうという流れになったのではないかと想像しているが、裏付けはない。