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膝を抜く、という表現が正しいのかは微妙なところだけど、抜く感じの脚の使い方が、ここ3週間くらいでいろいろ変化しているので、メモを頼りに書き出してみる。 まず先月末のあたりでは、歩き出しのときに膝を抜...

膝を抜く、という表現が正しいのかは微妙なところだけど、抜く感じの脚の使い方が、ここ3週間くらいでいろいろ変化しているので、メモを頼りに書き出してみる。

まず先月末のあたりでは、歩き出しのときに膝を抜かない方がよく、立った状態で体重の半分を支えている脚が、体重全体を支えられるモードに違和感なく変化するとよいと考えていた。なんというか、膝を抜くのはそれ自体が目的ではなくて、何かの動作のためなので、「よし膝を抜こう」というような意識があるとかえってよくないとは思う。なので、このときの考え方には、それはそれで意味がある。

今月頭時点で気付いたのは、股関節の前側のあたりを緩めることで、左右方向の動きを作るということ。膝を抜くという言葉からは前後方向の動きを連想するのでそれとは違うし、股関節の動きではあるが膝はあまり意識しない。でも全体的には「抜く」感覚ではある。動き出すときに緩めて初動を作るというのもあるが、そういう使い方をしやすいように立つ姿勢を考えると、常にこの緩みを保つような感覚になってくる。最初から緩んでいたら効果がないようにも思うが、実際にはそうではないので不思議。

それから10日くらい経つと、注目の対象が前側じゃなくて、股関節そのものに移ってきた。股関節はお尻の中にあるわけだけど、感覚的にもお尻の中にあるなあというのが急に実感できた。となると脚は外から見える付け根よりももっと上、もっと後ろから動くということでもある。この場合の歩き出し方はなかなか表現が難しいところで、メモには「膝を抜く」とか「上半身が股関節から前傾する」とか書いてあるが、いまいち実感とは合わない。まあいろいろ模索していた。

膝を抜くと足首が曲がるから、それで重心が前に出て歩く、というわけではない、というメモがある。どちらかというと、立つ脚の状態から、歩く脚の状態に移るために膝を抜くということであるらしい。そして重心を前に出すのは上半身の前傾と書いてあるが、実際には前傾しそうになるところを腰が追い付いてくるから、前傾というわけではない。

このあたりで機縁会( http://kienkai.seesaa.net/ )の稽古会に参加して、いろいろ持ち帰る。この日の帰りに気付いたのが、「足を前後に開いた状態から歩き出す」のと「歩く動きの中で両足が地面についている状態」は同じことだということで(実際には同じというのは極端で、似ているという程度)、これを実感するために、両足で地面を押してジャンプするように歩いて帰った。

この経験からいろいろ検討すると、歩き出しはいったん2つの状態で分けて考えるとよいということがわかった。足を前後に開いているなら、両足を活用しての体重移動が初動になる。足を揃えているのなら、片足を前に出すことで体重移動を先導する、という2パターンになる。歩いている状態で考えると、片足を上げているときにはとにかく足を前に出して着地することを優先し、両足が着地しているときは体重移動を優先する、ということになる。それを再び歩き出しに戻すと、足が揃っている状態からは足を出して足を前後に開いた状態に持っていくということだし、足が前後に開いている状態からは体重を移動して足が揃っている状態に持っていくことだなと。ここまで考えると、2パターンあるが原理は1つだということになる。

どちらの場合も原動力は膝を抜く、あるいは体を沈めるということで、どういう原理かわからないが、こうすることで足が動く。これはシーソーの片側を押したらもう片側が上がるといった原理であるべきで、体を沈めることで脚がバネのように縮んで、その反動で歩く、といったタイムラグのある原理ではない(という好みの問題)。

ただし体を沈めるというのはいつでもやりやすいわけではなくて、立ち方によって、やりやすかったり、やりにくかったりする。別の考え方をすると、立ち方によって、そこからどう体を沈めるかというバリエーションがあるようだ。体を沈めるのは、とにかく勇気を出してエイヤッと沈めても歩き出せるのだが、それはしたくない。とりあえずはゆっくりと、どの方向に沈めるのがいいかなと探りながらやっていくことにする。そのことで気付いたのだが、沈めるのは自由落下に例えられることもあるが、もっとゆっくりでよいということでもある。

ちょっと話題が変わるが、脚がお尻の中から動くのであれば、やはり腕は胸鎖関節から動くべきだろうと、これも理屈は前から知っているが、どうにか実感できないかと思ってちょっとやってみた。いくつかの限定された動きであれば、そうかもなあという感覚があるが、なかなか掴みづらい。そしてこの稽古をすると風邪を引くという言い伝えがあるが、実際にしばらく喉が痛くなった。

歩く系とは別の脚の使い方だが、ドアの開閉などで、力を腕で出すのではなく、腕は力の伝達器官と割り切って、脚の力で行うというのを試している。これはこれで安易な方向に流れそうな動きではあるのだけど、体がそういう使い方を試したがっているので仕方がない。そして気付いたのは、初見のドアだと今までの腕の使い方を選んでしまうし、家や職場のドアだと、新しい体の使い方を選ぶということ。もうちょっと細かい制御ができればまた違ってくるとは思うのだが。

脚の使い方の変化

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