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大日本帝国剣道形の制定の経緯については僕はけっこう不思議に思ってるのだけど、 「学校の体育で教えるので形が必要だ」という発想がピンと来ないのと、 形の制定のときは相当揉めたっぽいのに、 竹刀打ち込み稽古...

大日本帝国剣道形の制定の経緯については僕はけっこう不思議に思ってるのだけど、
「学校の体育で教えるので形が必要だ」という発想がピンと来ないのと、
形の制定のときは相当揉めたっぽいのに、
竹刀打ち込み稽古の方法についてはそんなに議論した記録がないように見える。

竹刀稽古については各自の自由に任されていたので
統一した指導法を作ろうという発想がなかったのか、
あるいは既に事実上統一されたような状態だったので議論の余地がなかったのか、
どっちかなのだろうか。
そうなると流派のアイデンティティは形に持ってくるしかないので、
剣道形の制定では激論になったのだろうか。

それとも旧制中学の剣道の授業では形稽古がメインだったのだろうか。
あるいは当時はまだ形と竹刀稽古の違いが小さかったのだろうか。

それとは直接の関係はないけど、現代の剣道が、
道具とルールは決めるので、細かいことは各自で工夫してやってね、
という方式ではなく、かなり細かいところまで決められているのも、
不思議なんだよな。
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