まず体術の姿勢や動きについての話題から。今まで「中心軸」や「力の流れ」のような感覚はあり、それを基準にして姿勢や動きを作っていくのがよいと考えていた。しかし先日の稽古会(
http://kienkai.seesaa.net/article/381126220.html )でわかったのは、それらの感覚を利用しない方がうまくいくということだった。この辺はいろいろな細かい気付きが同時並行であったのを後から整理しているので筋の通った論理展開ではないのだが、「中心軸」や「力の流れ」として感じられていたのは、おそらくは「溜め」だったのだろうと思う。相手がこう来るというのを無意識のうちに想定して、それに備えるための準備をそう感じていた。相手が想定通りの角度から来ればいいが、ずらされたらあっさりやられてしまう。なのでそういう意識は捨て去ったほうがよい。最初から不要なのか、あるいは初心のうちはギブスのように必要なものなのかはわからない。
では「中心軸」などの代わりとして基準になってくれる感覚はあるのだろうか。稽古会で気付いたのは「無防備な感じ」であった。これをどう感じるかは個人差がありそうというのを前提にしておく。仮に相手が刀で上から下に真っ直ぐに斬ってきたとすると、さくっと切れてしまいそうな、そういう感覚である。この感覚自体は以前から持っていて、そういうのもあるんだろうというバリエーションとして覚えていたのだが、どうもこれが有効っぽい。その場で気付いたのは確か額から胴体全体にかけてのと、腰というか股間あたりの無防備っぽさだったが、翌日以降には、肩を引くことで胸が無防備になったり、肩そのものや、腕や脚、手や足の指先まで、無防備にすることができる、できそうだということだった。
なぜ無防備だと感じるのだろうか。たぶん相手が上から斬ってきたとしたら、こう避けよう、そのためにはこう溜めておこう、という備えを解除してしまってるからではないだろうか。斬ってくる刀の軌跡が、逆説的に「正中面」と言えるかもしれない。また、力を抜くと考えれば「脱力」と呼ぶこともできるかもしれない。ただ実感としてはそういう一般的な用語に丸まるというよりも、「無防備で刀に斬られる」ということに尽きる。
これは今まで「よいこと」だと思っていたのが1日にして「よくないこと」に変わり、「どうでもいいこと」が動きの基準として立ち上がってくるという経験だった。
一方、この無防備姿勢から歩き出すというのが難しく、いろいろ考えていた。詰まるところ、片足に体重がかかると溜めになってしまうので避けたく、かといって膝を抜く感じだと前に進むことにはならない。そこで両脚をうまいこと使って腰・股関節を前に出し、身体のバランスを崩したところで足を前に送るようにした。これは確かに違和感がないが、はたしてこんなことをしてよいのだろうかという疑問が出てきた。これも順番が前後するが、動きは2つの手順を踏むとかではなく1挙動でなければならない、という気持ちがあるからである。なぜそう思っているかというと実はこれといった根拠はなくて、10年くらい前にそういうことを言ってた人から聞いたとか、あるいは黒田鉄山先生(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E9%89%84%E5%B1%B1 )の理論の聞き齧りから来ているものだと思う。とにかく、身体の感覚としては違和感がないが、頭としてはなんか気に入らないという思いがあった。
このことを考えるのに別の例として杖術の影踏み(
杖術体術稽古 機縁会 杖術『影踏(かげふみ)』 )が思い浮かんだ。これも手順としては右手を前にして突き、正面を向いて、左手を前にして突く、と言えば3つの動作なのだが、それはあくまで説明や理解のためという面があって、自然な動きとしては止まらずに1つの動作として捉えられている。であれば、腰を前に出し、足を出すという2つの動作も、腰が前に移動し続けるという点においては1つの動作なのだろうと考えた。そう考えると矛盾に苦しむことがなくなってきた。
この場合は脚の仕事は、腰をなるべく上下させず、水平方向に動かすよう高さを調整しながら、腰を支え、あるいは押し続けるということになってくる。
ここで例に出した影踏みだが、これについても「これはよくないことではなかろうか」と考え込む要素がある。前を向くときには杖は立てる、これは影踏みを特徴づける要素である、という意識があったのだが、よりスムーズに動くことを考えていくと、手は左右に広がり、杖もより水平に近づくことになる。そうすると杖を一旦立てる手間が省けるし、手を滑らせて長さを調整するのも1手順でできる。これは特に型稽古なので、動きにくいからこそ意味がある要素というのもあるはずで、それを崩してしまっていいのかということでもある。ただ、この杖術のルーツには動きにくいからこそ意味がある型稽古という面は薄いはずだというのもあったし、脇を締めつつ上腕の外旋で手を左右に広げるという動きは、この杖術の特徴的な動きとしてあるということもある。あるいは影踏みの説明として、杖で右上を突き、角度を変えずに左下を突く、それに半身の差し替えが加わるのだという話もあり、いろいろ総合すると、手を左右に広げるのもそれはそれでアリなんじゃないかと思えてきた。
そう思うと、素振り(
杖術体術稽古 機縁会 素振り )と影踏みには、確かに似た面があるのだが、素振りは手を左右に広げないことが求められる。その流れでなんとなく影踏みをみると、同じように正面を向く手順があるため、これも手を左右に広げないことが重要に思えてきてしまうが、たぶんそうでもない。