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姿勢や動きについて最近気付いたことが2つ。これは相互に関係してるのですが、結構ジャンルが違う感じではあります。気付いた順序とは逆になりますが、今までの流れの延長上にあるのが、背骨を操作する感覚です。機縁...

姿勢や動きについて最近気付いたことが2つ。これは相互に関係してるのですが、結構ジャンルが違う感じではあります。気付いた順序とは逆になりますが、今までの流れの延長上にあるのが、背骨を操作する感覚です。機縁会のtwitter( https://twitter.com/kienkai_info )で

> 背骨のなかで、胸椎は肩甲骨の開き具合で、腰椎は骨盤の立て具合で、
> その立て方を調整出来ます。ここまでは、比較的簡単。
> 問題は、胸椎と腰椎の境目、ヘソの裏側にあたる部分をいかに立てるか。
> ここが変化すると、上半身と下半身の力の連動や歩法が大きく変わります。
> 腰痛やヘルニアは、この部分への意識が薄い事が一因ではないかと感じています。
https://twitter.com/kienkai_info/status/406730529619181568
https://twitter.com/kienkai_info/status/406730556844421120

となっているこの話がまずあります。僕の実感としては

胸鎖関節を支点にして左肩を引くと、右腰が軽くなる。右腰が動きにくくなったのは、たぶん姿勢によって負荷がかかっていて、腰痛や弾発股になるのを予防するために、身体がリミッターをかけたから。不思議とこの引く感じは左肩の方がやりやすい。肩かけカバンを愛用しているけど、困ったことにかかってる側の肩が前に出やすくなってしまう。

という感じです。ただしこれはできるときとできないときがあります。これをさらに深く探っていくと、肩(肩甲骨?)の「奥」に背骨があって、肩を操作することでおそらく背骨が動いて、それで腰が軽くなるのですが、直接背骨の調整をすると、腰が軽くなる確実性が上がるのです。この背骨の調整ができるようになったというのが1つありつつ、理論的にはそうなのだろうけど、実際には納得が行くような背骨の操作ができてない、というものまた事実です。

一方の話はもっと抽象的な話なのですが、今までは「支えやすい姿勢で支える」という理屈は知りつつも、実際の動きとしては「身体の微妙な操作」と思ってたのが、いってみれば力みだったと思ったのです。この支えるというのはいわば関節を固めていくようなものなのですが、そうではなく、関節は素直にパタパタと曲げていく。そのとき連想したのは、紙を折り目に従って曲げていけばほとんど力は要らないし、曲がるべきところが曲がるのだ、ということです。そうして関節をパタパタ曲げていくことで、「支えやすい姿勢」に辿りつくのではないか、というのが解釈なのですが、その解釈がどうであれ、例えばふすまを開け閉めするのが楽になったり、あるいは手足を動かすときに手間が減ってきたという実感があります。

> 力を抜いて関節を曲げると、関節が潰れて力が逃げる。
> 関節を曲げても力の流れは滞らない様に、関節を繋げるのが肝要。
> すなわち、『膝の抜き』とは膝カックンに非ず。
https://twitter.com/kienkai_info/status/414005865704742912

という感じな気もしますが、実感としては力を抜いて関節が曲がるのに任せているようです。でも実際には完全に力を抜いちゃったらふすまが開かないはずで、その辺は自動的にバランスを取っているのではないかとも思います。

あと新井桁術理( http://vtotai.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html )として

> ・一教の形
> 舞:動けるところをふんわりと動かすと相手が崩れる。
> パタパタ:舞のふんわりした感じを排除し、関節をパタパタ折って相手に進入する。舞のまとわりつく感じに比べるとさっぱりしている。
> キャスター・風見鶏の原理に通じるものがあると思ったりした。

という動きを(この会ではないですが)中島先生( http://hanmidosa-waza-ari.cocolog-nifty.com/ )が実演してたのを受けた記憶が残ってたのもヒントだったと思います。こっちの話もまた、理屈としては関節をパタパタ曲げるのだとは理解していても、思うように動けてないものです。

背骨の操作と関節をパタパタと曲げる話

体術的な話。今までの理想を例えると、紙を折らずに曲げるような動きを目指していたと解釈できる。それに対して、昨晩から出てきた理想は、折り紙を折るように関節をパキパキと曲げていく動き。杖術の、特に上半身の...

体術的な話。今までの理想を例えると、紙を折らずに曲げるような動きを目指していたと解釈できる。それに対して、昨晩から出てきた理想は、折り紙を折るように関節をパキパキと曲げていく動き。杖術の、特に上半身の動きは前からそうなっていたように思うが。紙を折らないので負荷が分散する原理はもちろんあるのだけど、具体的な動きの感覚として、折らないようにするのは、なんというか力みになっているというか、余計な手間がかかりすぎている。

杉並に住んでるけど、一般家庭だとこれが標準だなあ。ググってみた根引きの松の画像とはちょっと違うっぽい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E6%9D%BE...

杉並に住んでるけど、一般家庭だとこれが標準だなあ。ググってみた根引きの松の画像とはちょっと違うっぽい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E6%9D%BE "さらに省略版として、枝振りのいい若松に、赤白や金銀の水引を蝶結びにし、門柱などに付ける方法もあり、手軽なことから多く使われる。"
これに近い。ウラジロとかついてる。

最近、こういう簡易版の門松みたいのをよく見かけますが、流行りなのでしょうか? - Yahoo!知恵袋

例によって歩き出しの話。踵を上げる動きと踵に体重をかける動きの合成( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar421886 )としてやっていたのだが、いくつか変...

例によって歩き出しの話。踵を上げる動きと踵に体重をかける動きの合成( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar421886 )としてやっていたのだが、いくつか変化があった。まず根本的に踵を上げる動きは、ヒントではあっても、それをそのまま行うには違和感がありすぎるというのがある。その後しばらくのメインテーマだったのは、股関節の外旋内旋( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar404141 )を使って体重移動を始めるというもので、これはそれなりに効果があった。足をどう動かすかというのを一旦置いておいて、とにかく体重を動かしてしまえば足がついてくる、という原理はそのままに、違和感のある膝の動きは脇役にしておいて、胴体の位置関係を変えてしまうというものだった。

ただしより細かく見ていくと、これは体の溜めを利用するもののようだった。股関節を利用して重心を動かした後に、その位置で止まってみて、さて歩き出せるかと試してみると難しかった。これもまた1つの原理で、溜めを排除していくにはよい方法のようだった。

その溜めを排除した状態で検討していくと、踵を上げるのも股関節の外旋内旋も、動き出しの引き金にはならないようだった。残るのは踵に体重をかける動きなのだが、これも細かく見ていくと、「屏風座り( http://vtotai.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html )」という動作との関連がある。屏風座りは、踵を床につけたまま、上半身をなるべく前傾させず、膝をなるべく爪先から前に出さないようにしゃがむ動き・稽古法で、上半身を前傾させないことを重視するバージョンと、膝を爪先から前に出さないことを重視するバージョンがあるように思える。この文脈で踵に体重をかけると言っているのは、屏風座りの動き(膝を爪先から前に出さないのを重視版)のことを指している。

歩き出しとしては、屏風座りの要領で踵に体重をかけ、一方では踵に体重がかからないようにバランスを整えようとすると、重心が前に出て足が前に出るという動きになる。一方で踵に体重をかける感覚を屏風座りに持っていくと、今までよりもスムーズになる。また、今までは踵は爪先側に比べると脇役の扱い( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar404141 )だったのが、むしろ主役交代という感じになってきた。これはもうちょっと発展しそうである。

踵を活用する話

とにかく説明すべきではあると思うが、本人、あるいは日本人全体という意味での本人も、よくわかってないから、なかなか難しいだろう。なぜ日中戦争やって太平洋戦争やったのかというのも、当時の人もわかってないだろ...

とにかく説明すべきではあると思うが、本人、あるいは日本人全体という意味での本人も、よくわかってないから、なかなか難しいだろう。なぜ日中戦争やって太平洋戦争やったのかというのも、当時の人もわかってないだろうし、我々現代人もよくわからないし、外国からみたら意味不明で気味が悪いというのも理解できる。その延長で、なぜ靖国神社なのかというのも、多分誰にもわかってない。

首相「しっかり誤解解く」 米政府の靖国参拝批判に

体術的な話。最近は「自分はこんなこともできないのか」というのが実感をもってわかるようになってきた。今までもそういう感じはあったが、より実感が強まったというか「できないのはできない、仕方がない」というの...

体術的な話。最近は「自分はこんなこともできないのか」というのが実感をもってわかるようになってきた。今までもそういう感じはあったが、より実感が強まったというか「できないのはできない、仕方がない」というのが以前の感じ方であったとすると「これはできるが、これはできない。できることを組み合わせればできるようにならないかな」というのを背景にした「こんなこともできないのか」という感じだろうか。

例えば立った状態から歩き出すのも、なかなか納得がいかない。あるいは、それができたとしても、ベビーカーを押して歩き出すとなると勝手が変わる。それが一方では失望であり、一方ではなんとかなりそうだという見方でもある。

歩き出すのを具体的に書くことにするが、そのためにはまずその場でできる動きを2つ。1つ目の動きは、腰の高さを変えないまま、爪先側で立ち、踵を上げ、その分膝を曲げる。2つ目の動きは、踵をつけたまま、膝を曲げて腰を落としていく。この2つの動きは膝を曲げる(そして足首はほとんど曲げない)という点が共通しているが、片方は踵を上げ、片方は踵に体重をかけるという、正反対の要素がある。それで歩き出しだが、この2つの動きを同時に行うと、なぜか体重が前に出つつ、足も前に出るので歩き出せるのである。実際にどういう動きになってるのかはよくわからない。足首を曲げるのと膝を曲げるののバランスがうまいこと行くのかもしれない。

足首を大きく曲げると、だいたいその場合には力を抜いて身体が前にずれ込んでいくのだが、重心が前に出るので歩き出すことができるというのはあるが、このずれ込んでいくところがなんというか死に体な感じがして好きになれない。一方で一旦膝を曲げてから伸ばす動きで床を押すというのも、予備動作的で好きになれないし、あるいは脚の緊張度合が変化するのが嫌だと感じている。上で書いた方法は、この辺をなんとなく回避している。

2つの動きの組み合わせのバランスということでは、足裏に注目するという面もある。踵側1/3にかかる体重と、爪先側1/3にかかる体重のバランスということのようだ。ベビーカーや扉を押すときは、どうも踵にかかる体重を増やすといいようだ。

一方歩き出しの恐怖感というか、動いてないものが動く、そのモードの切り替わりに対する違和感への対処ということでは、その場でできる動きを2つ組み合わせるという意識が心の負担を軽くするようだ。ここでは足裏のバランスではなく、膝を曲げるということに注目した方がよさそう。膝を曲げたあとどうやって前に出るかというのは一旦置いておく。

とはいいつつ、歩き出しやすいように重心を足裏にバランスよくかけることも、それはそれで必要になると思っている。肩を引くことで、胸や腹が前に出て、重心が踵より前に出てくるようだ。足裏に体重がかかるような姿勢、という説明は確かにしっくりくる。ただこれでも歩き出すことに対する違和感は消えないし、違和感があることに意味があるような気もしている。

こういった感覚の説明でいうと、上に書いたような膝の使い方は「膝を抜く」という呼び方にしてしまっても自分的には違和感がない。一方で脚の力を抜いて、膝カックン的に使うのも「膝を抜く」という呼び方で違和感がないので、限られた文脈でしか説明に使えないのだが。

膝を抜く話

これはいろいろに解釈(評価)できるだろうけど、僕にとって興味深いのは、当時は竹刀稽古が主流になってるはずなのに統一の形が必要だと考えていたことですね。あとは流派名が必要だと思ってたのは知らなかった。サッ...

これはいろいろに解釈(評価)できるだろうけど、僕にとって興味深いのは、当時は竹刀稽古が主流になってるはずなのに統一の形が必要だと考えていたことですね。あとは流派名が必要だと思ってたのは知らなかった。サッカーとかは学校であれば統一的な教授法があると思うけど、特に何々流という認識のされかたはしてないと思うし。

Twitter / inuchochin: 明治32年の武徳祭で剣術を学校の正科とするためには統一的な教 ...

なんとか時間を作って TODO.RSS( http://todo.fuktommy.com/ ) を更新しました。角川ニコニコエース( http://seiga.nicovideo.jp/watch/...

なんとか時間を作って TODO.RSS( http://todo.fuktommy.com/ ) を更新しました。角川ニコニコエース( http://seiga.nicovideo.jp/watch/bk1 )でニンジャスレイヤーの連載が始まったり、GANMA!( http://ganma.jp/ )が創刊したりで、定期的に電子書籍を読む必要があるのですが、困ったことにこれらの更新がわからないのです。GANMAのRSS( http://ganma.jp/feed.xml )はサイトの新着情報しか入ってないし。東映特撮だったらニコニコのRSS( http://ch.nicovideo.jp/TOEIcojp/video?rss=2.0 )もYouTubeのRSS( http://gdata.youtube.com/feeds/base/users/TOEIcojp/uploads?alt=rss&orderby=published )もあるので大丈夫なのですが。そこでTODO.RSSなんですが、もともとの実装だとCSRFトークンがないと追加できないので、適当にHTTPヘッダーをつければトークンなしで追加できるようにしようと思って、じゃあAjaxのHTTPヘッダーでいいじゃないかとかやってました。あとで気付いたのですが、もともとの実装でもリファラをつけてやれば更新できるし、Apacheの設定でリファラがない場合にはPOSTを通さないようにしている(スパム対応でいろいろ設定したときの名残り)ので、結局あまり意味がなかったりしました。まあなんであれ、RSSで更新情報を購読できるようにしておくといろいろ便利なので、みなさんどうぞご利用ください。

ついでにBootstrap( http://getbootstrap.com/ )を更新したのですが、適当にやってたらスマフォの画面でもいい感じに表示できるようになってました。とても便利です。

ついでなので新月掲示板( http://www.shingetsu.info/ )の2つの実装、朔( http://shingetsu.info/saku/ )と朔ex( https://github.com/shingetsu/saku-ex )のBootstrapも更新しました。まあこれも、2つのバージョンがあって面倒な話ではあります。この辺どこまで理解されているかわかりませんが、朔は提案されたパッチは原則取り入れるし、提案されたアイデアも簡単に実装できるなら実装もしてしまうという方針です。2chブラウザ対応を望む人が長いこといるので、誰かが実装してパッチを送ってきてくれれば、たぶん取り入れられます。一方で朔は、自分的には「それはそういう使い方するものじゃないんだけどなあ」と思うことも多くて、それは例えば「全部の掲示板を購読したらそりゃ破綻するようなあ」とか、「そもそもあれ、自分専用のノードを立てるんじゃなくて、ゲートウェイを公開するシステムだよなあ」とか、まあそういうのがあったりします。と書いたけど、自分でもこの辺の機微がうまく説明できないので、ユーザーにわかるわけがないという気もします。なのでこの機能はこうあるべき、みたいなのを自分なりに整理したのが朔exです。ただそれで何かが伝わるかというと謎ではあるんですよね。朔と朔exの位置関係というか、普通にユーザーがダウンロードするのは朔だろうし、積極的に朔exを薦める理由はないような気もしますが、なかなか難しい。あまりコミュニティのあり方とか、せっかく誰かが送ってきてくれたパッチだしなあとか気にせずに、ばっさり機能を削った方がいいのかなあ。

最近の日曜プログラミングについて

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プログラマー的にはやりたくない、だな。どういう理由かは自分でもよくわからない。例えば仕様が複雑になるから嫌だというのはある。リファクタリングはやりたいこともあるし、やりたくないこともある。負荷を軽くするためのハックも、やりたいこともあるし、やりたくないこともある。これは給料もらっててもやっぱりやりたくない。

Twitter / kkotaro0111: クリエイタのいう「面倒くさい」は、「やりたくない」ではなく「 ...

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「どうしますか」と訊かれるのが嫌。タクシーであれば「ルートはこっちで決めちゃっていいですか?」ならば「はい/いいえ」で答えられる。ごはん食べたとき個別会計かそうでないかという意味で「お会計どうしますか?」って言われるのもたいがいで、「え?払いますけど」って答えてやろうかしらん。西友の「お支払い回数は?」も嫌。カードユーザーだって何回払いがあるか把握しているわけじゃない。「一括でよろしいですか?」にしてほしい。散髪のときの「どうしますか」は文脈で意味がわかるから問題ない。「ニンニク入れますか」は正しい。

道を知らないタクシードライバー? : メカAG

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