体術的な話。最近は「自分はこんなこともできないのか」というのが実感をもってわかるようになってきた。今までもそういう感じはあったが、より実感が強まったというか「できないのはできない、仕方がない」というの...
体術的な話。最近は「自分はこんなこともできないのか」というのが実感をもってわかるようになってきた。今までもそういう感じはあったが、より実感が強まったというか「できないのはできない、仕方がない」というのが以前の感じ方であったとすると「これはできるが、これはできない。できることを組み合わせればできるようにならないかな」というのを背景にした「こんなこともできないのか」という感じだろうか。
例えば立った状態から歩き出すのも、なかなか納得がいかない。あるいは、それができたとしても、ベビーカーを押して歩き出すとなると勝手が変わる。それが一方では失望であり、一方ではなんとかなりそうだという見方でもある。
歩き出すのを具体的に書くことにするが、そのためにはまずその場でできる動きを2つ。1つ目の動きは、腰の高さを変えないまま、爪先側で立ち、踵を上げ、その分膝を曲げる。2つ目の動きは、踵をつけたまま、膝を曲げて腰を落としていく。この2つの動きは膝を曲げる(そして足首はほとんど曲げない)という点が共通しているが、片方は踵を上げ、片方は踵に体重をかけるという、正反対の要素がある。それで歩き出しだが、この2つの動きを同時に行うと、なぜか体重が前に出つつ、足も前に出るので歩き出せるのである。実際にどういう動きになってるのかはよくわからない。足首を曲げるのと膝を曲げるののバランスがうまいこと行くのかもしれない。
足首を大きく曲げると、だいたいその場合には力を抜いて身体が前にずれ込んでいくのだが、重心が前に出るので歩き出すことができるというのはあるが、このずれ込んでいくところがなんというか死に体な感じがして好きになれない。一方で一旦膝を曲げてから伸ばす動きで床を押すというのも、予備動作的で好きになれないし、あるいは脚の緊張度合が変化するのが嫌だと感じている。上で書いた方法は、この辺をなんとなく回避している。
2つの動きの組み合わせのバランスということでは、足裏に注目するという面もある。踵側1/3にかかる体重と、爪先側1/3にかかる体重のバランスということのようだ。ベビーカーや扉を押すときは、どうも踵にかかる体重を増やすといいようだ。
一方歩き出しの恐怖感というか、動いてないものが動く、そのモードの切り替わりに対する違和感への対処ということでは、その場でできる動きを2つ組み合わせるという意識が心の負担を軽くするようだ。ここでは足裏のバランスではなく、膝を曲げるということに注目した方がよさそう。膝を曲げたあとどうやって前に出るかというのは一旦置いておく。
とはいいつつ、歩き出しやすいように重心を足裏にバランスよくかけることも、それはそれで必要になると思っている。肩を引くことで、胸や腹が前に出て、重心が踵より前に出てくるようだ。足裏に体重がかかるような姿勢、という説明は確かにしっくりくる。ただこれでも歩き出すことに対する違和感は消えないし、違和感があることに意味があるような気もしている。
こういった感覚の説明でいうと、上に書いたような膝の使い方は「膝を抜く」という呼び方にしてしまっても自分的には違和感がない。一方で脚の力を抜いて、膝カックン的に使うのも「膝を抜く」という呼び方で違和感がないので、限られた文脈でしか説明に使えないのだが。
例えば立った状態から歩き出すのも、なかなか納得がいかない。あるいは、それができたとしても、ベビーカーを押して歩き出すとなると勝手が変わる。それが一方では失望であり、一方ではなんとかなりそうだという見方でもある。
歩き出すのを具体的に書くことにするが、そのためにはまずその場でできる動きを2つ。1つ目の動きは、腰の高さを変えないまま、爪先側で立ち、踵を上げ、その分膝を曲げる。2つ目の動きは、踵をつけたまま、膝を曲げて腰を落としていく。この2つの動きは膝を曲げる(そして足首はほとんど曲げない)という点が共通しているが、片方は踵を上げ、片方は踵に体重をかけるという、正反対の要素がある。それで歩き出しだが、この2つの動きを同時に行うと、なぜか体重が前に出つつ、足も前に出るので歩き出せるのである。実際にどういう動きになってるのかはよくわからない。足首を曲げるのと膝を曲げるののバランスがうまいこと行くのかもしれない。
足首を大きく曲げると、だいたいその場合には力を抜いて身体が前にずれ込んでいくのだが、重心が前に出るので歩き出すことができるというのはあるが、このずれ込んでいくところがなんというか死に体な感じがして好きになれない。一方で一旦膝を曲げてから伸ばす動きで床を押すというのも、予備動作的で好きになれないし、あるいは脚の緊張度合が変化するのが嫌だと感じている。上で書いた方法は、この辺をなんとなく回避している。
2つの動きの組み合わせのバランスということでは、足裏に注目するという面もある。踵側1/3にかかる体重と、爪先側1/3にかかる体重のバランスということのようだ。ベビーカーや扉を押すときは、どうも踵にかかる体重を増やすといいようだ。
一方歩き出しの恐怖感というか、動いてないものが動く、そのモードの切り替わりに対する違和感への対処ということでは、その場でできる動きを2つ組み合わせるという意識が心の負担を軽くするようだ。ここでは足裏のバランスではなく、膝を曲げるということに注目した方がよさそう。膝を曲げたあとどうやって前に出るかというのは一旦置いておく。
とはいいつつ、歩き出しやすいように重心を足裏にバランスよくかけることも、それはそれで必要になると思っている。肩を引くことで、胸や腹が前に出て、重心が踵より前に出てくるようだ。足裏に体重がかかるような姿勢、という説明は確かにしっくりくる。ただこれでも歩き出すことに対する違和感は消えないし、違和感があることに意味があるような気もしている。
こういった感覚の説明でいうと、上に書いたような膝の使い方は「膝を抜く」という呼び方にしてしまっても自分的には違和感がない。一方で脚の力を抜いて、膝カックン的に使うのも「膝を抜く」という呼び方で違和感がないので、限られた文脈でしか説明に使えないのだが。