携帯に電話がかかってきてもその端末でしか確認できないので気づかないことが多い。メールだと手持ちの携帯、タブレット、PCの全てで確認できるので、歩き中とかじゃなければ気づくのだが。一番いいのはdocomoが留守番電話の通知をSMSじゃなくて任意のEメールアドレスに送ってくれることなんだけど、そういうサービスはないっぽいので、Androidアプリでどうにかならないか調べてみた。
マーケットで sms gmail で検索すると、ほぼ同じ画面のアプリがいくつも見つかる。多分1つのOSSから派生したのだと思うが、Androidのアカウント認証の仕組みを使っている SMS Backup + をインストールしてみた。なかなかいいのだが、残念なことにGmailに転送されたメールが受信トレイに入らず、別の端末での通知が受けられないのだった。そういうわけで電話をもらっても気づかないことが多そうである。
と思ったらあれだ。同期先のラベルを inbox にしたらもろもろ解決した。
甲野先生のTwitter で今年は既に禁糖の時期になったというのを知ったので、当日の夜から試しに砂糖の摂取を制限している。制限とかプチとか言ってるのは制限の仕方がかなり緩いからで、例えば朝食はパンなのでそれに含まれる砂糖は食べているわけだし(ジャムはつけない)、料理に使われている調味料はどうなっているか把握してないし、そういえば飲み会に出たときはデザート食べてたし、お菓子をもらったら食べてたりするので、ほとんど禁糖ではない。
甲野善紀(@shouseikan)/2013年02月24日 - Twilog
膝を抜くというと、なんというかカックンという感じだけど、ここで話題にするのは膝と、それに合わせて足首や股関節も含めての緊張を緩めてちょと力を抜く動きです。例えば左側に体重をかけようと思ったら、右足に力を入れて蹴る感じで左側に体重を移すこともできるけど、左脚側の力を抜く(そのあと戻す)ことでも同じことができて、そしてたぶん力を抜く方が速い。
この膝を抜く(脚を抜くといった方がよいかも)動きは、体重を移すときにも使えるし、身体の向きを変えるとか、歩き出したりするときにも使える。扉や引き戸が重いときも、膝を抜くことで力を出しやすい姿勢に切り替えることができる。この場合は膝を抜いて、また支えるというよりは、力を抜いたままで体重をかけるような感じのような気もするが、実際には割と体重を支えていると思う。
歩き出しとか、身体の向きを変えるということでいうと、軸足を中心にもう片方の足とか、あるいは胴体なんかも回ってしまうわけだけど、軸足側を抜くことで、直線的な動きがでてくる。山手線の内側を通る中央線のように、近道ができる。近道ができるのは高柳さんのいう、身体の内側に空間を作る?だったか、そういうのを連想したけど、同じことを言ってるかどうかは知りません。
機縁会の稽古会が8/18(日)と8/25(日)にあるので、参加しようと思ってます。武術というと説明難しいんですよね。僕にとっては戦うとかそういうのってあまり意識してなくて、身体を動かすレクリエーションの1つだとは思ってて、今までできなかった動きとか、知らなかった感覚に気付くとか、そういうのが面白いと思ってやってます。スポーツとかレクリエーションとかいろいろあるけど、武術(体術)のいいところは技をかけてもらうことができて、それで今までにない感覚が得られるということですね。あと大の大人が畳の上で崩されたり投げられたりするのが意外と面白い。
そういえばスポーツの定義(また定義問題か)もちょっと気になるところで、井の頭公園でボートを漕ぐのは身体を動かすレクリエーションではあるけど、スポーツではない印象なんですよね。ボート競技となるとスポーツだけど。僕にとっての武術の稽古は、そういう区分での身体を動かすレクリエーションですね。
膝を抜く話
忠臣蔵は江戸時代の作品だから仕方ない。水戸黄門は私刑はほとんどしてない印象で、現場の役人が不正してたら家老に通報してたりする。麻呂の回も麻呂の上役が来てたよね。吉宗公も事を荒立たてると相手の家の取り潰しとかになるから内々に処理する必要があり、自主的に腹を切れと説得に来たところ相手が抵抗したので殺させちゃうとかそんな感じする。家取り潰しとかの連座制が理不尽というのはそうだろうけど、これも時代背景あってのことだから将軍であっても変えられないだろう。
Twitter / fukken: 必殺仕事人とか忠臣蔵とか水戸黄門とか暴れん坊将軍とか、日本的 ...
"スマホの設計は、「旅行時に家(PCアプリ)の中の何をスーツケース(スマホアプリ)にパッキングするか?」というイメージに近い。"
それは正論なんだろうけど、僕はPCをポケットに入れて持ち運べるのがスマフォだと期待してたし、iPhone(3Gの1つ前のやつ)初めて見たときはこんなのガラケーと変わらないじゃんと失望した。未だにiPhone使う気になれないのはその印象が強いから。Nexus7も微妙に小さすぎる、あるいはアプリがスーツケース志向な感じするし、MacBookAirあたりが自分にとっての限界サイズなのかもしれない。
スマホUI考(番外編) なぜ機能追加をし続けるとアプリが破綻するのか? | fladdict
確かに膝には無理をさせがちだし、無理をさせると痛くなる。僕の場合は杖術で、動く時より止まるときに、無意識にブレーキ役、クッション役として使っていた。その辺意識するようにして、今は特段意識しなくても痛くならない。
しかし膝を全く動かさないというわけにはいかない。立つときとかは明らかに膝も開閉してるし、体重を持ち上げるわけだから力も発してると思うのだけど、その辺をどう理論上に位置づけるのがいいのかなあ。角度とかに許容範囲の動きと、範囲外の動きがあり、ついつい範囲外まで酷使してしまうのかなと思ったりする。
- はてな匿名ダイアリー
僕は自分自身を、なんかこうアルゴリズムのクイズとかを解ける人、なんといえばいいのかわからないけど、一人前?のプログラマーだとは思ってなくて、単純作業として出てくるプログラムを単純作業として作る、たぶん数十年後にはそんなの自動化されてるだろうけど、今現在はまだ人手でやるしかないので人手でやってるような、そういうプログラマーだと思ってる。そういうプログラマーが必要なところは、残念ながらまだたくさんあるんだろうなあと思ってるし、幸いなことに、まだ自動化が追い付いてないので食っていける。
世間ではプログラマが足りていないらしい
前に、リファラを辿っていったら会員制サイトで、どう言及されてるかわからないから不愉快、会員制サイトからリンクするなという記事があり、httpsなどでリファラが取れない場合もあり、その場合にはどう言及されてるか分からないだろ、しかし気がつかないので怒りを向けられることはなく、怒りを向けられる人が理不尽だと思ったのを思い出した。
「バカが可視化される時代」とどう向き合うか - 脱社畜ブログ
こういう実例レベルでみると、全然違和感ないというか、自分もこういう行動してるので子供が荷物放ってLINEしてても、うんうんって感じだと思う。LINEしててっていう表現もなんか変だけどな。ファミコンしてて、というのとは違う。インターネットしてて、というのはネタ的表現だし。これを規制したがる親とは仲良くなれなさそうな気がする。お前らこそもっとインターネットに依存しろと言いたい。
ネットはドラッグ
大前提として各自が好きなURLを好きなようにブクマする自由があるべき。僕は新着を眺めるという習慣がないので断言はできないが、仕組み上スパムなりノイズなりが乗るというのであれば、それは読む側が覚悟すべき問題でしかない。読む側の事情を考慮して、ブクマする側が萎縮することがあってはならない。Googleの検索エンジンの都合を考慮してウェブページを作るのと同じくらい愚かなこと。
日系パワハラの管理人さんと「意図的にはてブの新着に載るように行うこと」について話しました