掃き掃除であれば竹箒と室内用の箒では使い方が違ったり、広く掃くときと溝を掃くときでもやりかたが違ったりする、というのを仮定してみる。実際どれくらい違うのかはいまいち実感がないんだけど、無駄を省いていくと、どこかでそういう細かいところが必要になる気はする。
んで、娘さんに技を教えるとすると「なるほど、言われたようにやってみたら無駄がないなあ」という感じの驚きがあるか、「よくわからないけど父ちゃん(母ちゃん)すごい。ああなりたいから真似してみよう」という感じの驚きがあるか、どっちかだと成長があるんじゃないかな。このタイプだと、竹箒はわかった、じゃあ室内用の箒だとどうなるんだろう、という感じに成長していく。
一方「これが正しい竹箒の使い方だ」みたいに習ったとすると、広く掃くときも溝を掃くときも、室内用の箒でも同じ使い方をしてしまうんじゃないか。それだと無駄があるのだけど、これが正しいのだと思ってるから工夫ができないか、ごく狭い範囲の工夫で終わってしまうのではないか。
ところで、子供に教えるときには、いろんなことが単純化されていて、現実とは異なってるはず。その単純化されたものを正しいものとして扱っているとどうしても限界がある。成長過程でもっと現実に近いものに交換していく必要がある。学校の勉強はけっこううまくできていると思うんだけど、そこから漏れるものは難しい。経済の仕組みがどうなってるんかなんて、僕は小学校のときに読んだ学習漫画レベルだったりする。体育とかは自分で気付く人もいるかもしんないけど、部活で専門的にスポーツやってる人とかじゃないと、小学校的な身体観で固まってしまうような気もする。そういうことを考えると、みんなで体操をするとかじゃなくて、自由に遊ばせるのが大事という説も納得がいく。
賢さのオルタナティブ -
β2
「本給はいじらないで、業務内容で差をつける。責任範囲や部下の数や使える経費の多寡で差をつける」ってのが、会社視点だと合理的かもしんないなあ。薄給でも責任ある仕事ができるなら嬉しい、という性格の人に重要な仕事を任せ、そうでない人は薄給かつ重要でない仕事をさせる。責任ある仕事で苦労しているのだからもっと給料をくれ、という人には我慢してもらうか、会社をやめてもらう。
亀の甲より年の功 (内田樹の研究室) -
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ax=b のとき x を求めよという問題について、a,bがそれぞれ0かどうかを場合分けして記述するのが数学的なのだけど、x=b/a と記述しておいて、その記法でa,bに値が入ったときに場合分けが発動してもいいんじゃないかなあ、みたいなのは中学のときからモヤモヤしてる。
prima materia - diary : これが数学でなくて一体何だというのだろう?? -
カナかな団首領のブックマーク
この書式は未定義だと思うんだけど、台湾式だと違うのかな。
算数風 6÷2×(1+2)
プログラミング言語風 6/2*(1+2)
数学風 \frac{6}{2(1+2)}
そもそも数学の書式は活字と相性悪いと思うんだけどなあ。LaTeXのように特殊なプログラムを使うのではなくて、こんな感じにテキストエディタで読み書きできるよう、プログラミング言語のような書式にすればいいのに。
6÷2(1+2)= ? : 妹はVIPPER -
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僕の場合はNewsRobだけど、これは端末買ってから半年後くらいに知ったので、時系列的にはおかしい。端末買ったのはHT-03Aのブラウザが割とよくできていたから。PCでいちばん使うのはブラウザだし、出先にブラウザを持っていきたいというのが、それこそ何年も前からあって、前はケータイで我慢していたのだけど、いい加減我慢できなくなってきていた。iPhone3Gも触ったことあったけど、これはiPhone用のウェブインタフェースをサイト側で用意しないと辛いと思った。そのあたりは3GSで改善されてるはずだけど、第一印象が悪かったのでiPhoneを買う気にはならなかった。そういう流れだとサイト側でスマフォ対応するのは筋が悪いと思うんだけど、まあブラウザもそこまで便利なわけでもなく、サイト側で対応しようというのも止むを得ないかなあとは思う。とはいえせっかく持ち運べるブラウザを買ったのだから、スマフォ用のUIという変なものを見せんでくれ、という気持ちは強い。
yoshiori: @shot6 俺の場合のキラーアプリは iPod だった。物理社会で荷物が一つ減るのは衝撃だった。ソフトウェアで再生してて電池食う端末には移行出来ないなぁ。 -
Twitter / yoshiori
プログラミングについて徒弟制度の比喩でとらえることもあるのだけど、現代における徒弟制度は師匠が滅茶苦茶腕がよくて、弟子の方が常に「師匠のようになりたい」と思ってるんじゃないか、という気がしてる。人間国宝とか。往時はどうだったんだろ。んで、プログラミングに徒弟制度を使うのであれば、「師匠のようになりたいので、師匠の技であるTDDを自分も使おう」という体制にしないといけないよなあ。そんな魅力的な師匠なんてホイホイいるものか?
テストコードを作らない文化が浸透している現場へRuby/Railsが導入された結果への対策を考えてみる, tDiary 3.0.2 リリース - 会長@腹部日記(2011-04-29) -
こたぶ
スマフォユーザーとしては「スマフォ対応」みたいなのはしてほしくないんだよなあ。あれは携帯できる小型PCなのであって、特別なデバイスではない。サービスを提供する側としては、そんなことは言ってられないのはわかるんだけど。
hidetobara: @tdaiki 対照的に、うちのスマフォへの取り組みが遅いのが気になってます・・・ -
Twitter / hidetobara
プログラミングに関しては、こうしたい、こうなりたいという欲求と、それを教えてくれる先生が同じタイミングでいると上達するのは確かなのだけど、どうやってそのタイミングを人為的に合わせるかが問題で、引き出しの豊富な先生がいてくれると丁度いいのかしら。
tdaiki: @shimobayashi 最初は何がいいんですかね -
Twitter / tdaiki
祖母は長く書道をやっていた。小学生のときだったと思うけど、書き初めの課題について、手抜きをしていると怒られたことがある。僕としては決して手抜きをしたわけではないのだが、書道が好きな人とそうではない人では自ずと上手い下手があるし、作品1つ仕上げるために費す時間も全然違う。そうなるとやっぱり手抜きに見えるよなあ、とかとか。
余った紙をあげるから好きなだけ使いなさい、と言ってたのを覚えている。好きでもない人に「好きなだけ」と言われても困るけど、本人の感覚としてはあんなもんだよな。書道でいえば、書道が好きでない人がいるというのがどうにも理解できなかったり、好きなだけ練習する以外の方法を知らないから、そうでない人を一定レベルまで持ってくための指導法というのもピンと来なかったり。
人が増えているとしたら、昔はニコ動全体で1万人の輪があったところが、今は何々ジャンルで1万人の輪、ということもあるのだろうか。それで人数に差がないとしたら、何も困ることはないように思うのだけどなあ。あるいは昔のニコニコ動画とYouTubeと、まだStage6もあったりして、それら全体を通しての一体感があるとかないとか、そういうのにも似た何かを感じる。クラスタに対するネーミングの問題なのかな。
kawango38: Togetter - 「ニコニコ動画の『一体感』と包括的メドレーの限界?」 http://htn.to/Gi9Hgs -
Twitter / kawango38