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剣道の間合いを分析したら6パターンになったという研究結果が発表されました。 ・剣道:間合いに規則性パターンは5種 名古屋大など解析 毎日jp(毎日新聞)( http://mainichi.jp/...

剣道の間合いを分析したら6パターンになったという研究結果が発表されました。

・剣道:間合いに規則性…パターンは5種 名古屋大など解析− 毎日jp(毎日新聞)( http://mainichi.jp/sports/news/20130905k0000e040257000c.html )
 概要
・PLOS ONE: Joint Action Syntax in Japanese Martial Arts( http://www.plosone.org/article/info:doi/10.1371/journal.pone.0072436 )
 本文(英語)
・二者間の攻防に潜む規則性( http://www.htc.nagoya-u.ac.jp/~yamamoto/press_11b.pdf )
 プレスリリース(PDF)

3番目のPDFが一番読みやすいと思います。毎日新聞だと5パターンとあるけど、PDFだと6パターンなんですよね。誤植かしら。状態遷移確率のところは大学で勉強してたので理解できましたが、あとのところはそこから類推してなんとなくわかったような気になってるだけです。熟練者は「遠い間合いでの素早い攻防」が多いに対し、非熟練者は「近い間合いでのゆっくりし攻防」が多いことが明らかになりましたというのが結論ですが、これをを好むと言い換えられるでしょうと言ってしまうのは論理が飛躍しているかもしれません。僕も剣道をやっていたので(非熟練者)、確かに「近い間合いでのゆっくりした攻防」になるのは納得できます。

思うに剣道の技は、基本的な個別の技としてみると、ほぼ全て前に出て、1歩踏み込んで打つ技なんですね。これは素振りのときからそうなってるし、2人1組になって個々の技を稽古するときもそうです。あーでも例えば切り返しは下がって打つ動作も半分入ってるか。これは後でまた触れるかと思います。少なくとも最初に習うのは、1歩踏み込んで打つ動きです。

例えば2人1組になって面を打つ稽古をするとしたら、相手がその場で竹刀の方向を変えて隙を作るので、こちらは1歩踏み込んで打つ、そうするとちょうどよく竹刀が当たるような距離です。小手面の連続技だとすると、まず1歩踏み込んで小手を打つ、そうすると相手が1歩下がるので、また1歩踏み込んで面を打つ、それで竹刀がちょうどよく当たります。他の人はどう思かわかりませんが、僕は剣道の技は1歩踏み込んで打つものであると理解してたわけです。

さてこれで自由に打ち合う稽古をするとどうなるかというと、相手がその場から動く前に素早く打とうとして、1歩踏み込んで打ちます。相手も同じことを考えているので互いに1歩ずつ踏み込むわけですが、こうなると竹刀がうまいこと当たりません。お互い引かないので鍔迫り合いになります。そして鍔迫り合いを打開する動きというのが、これまでに述べたような基本の技に入ってないので膠着してしまうわけです。これが「近い間合いでのゆっくりした攻防」なのかと思います。

話を単純にするためにいくつか省略した内容があるので拾っていきます。鍔迫り合いを打開する動きは例えば引き技があるわけですが、これも僕の理解だと、竹刀の柄で相手を突き放して態勢を崩したところを引いて打つということなので、互いに相手を突き放そうとして膠着します。相手を崩すということでは体術に通じる奥深い内容があるはずですが、稽古の比重がこまで重くもないので、たいして上達せず、単に押し合ってるだけです。

同じく引いて打つ動きとしては切返しという割と基本寄りの稽古があって、戦前戦後くらいの昔の人はこれを重視していたと聞きます。僕もその稽古をしなかったわけではないのですが、やはり基本の技が出ながら打つ動きだったので、引く動きは切返しの中に出てくるだけの特別な動きという理解になってました。

試合の動画はあっても地稽古の動画が見当らないなと思って、これなのですが、五十年、半世紀前の剣道( http://www.nicovideo.jp/watch/sm1152591 )をみると、これは当時のトップレベルの方々なのですが、距離が近付いたら一旦引くか、近くて膠着したら(当時はあった)足払いをかけるとか、そんな感じかと思います。あと必ずしも1歩踏み込んで打ってはないですね。臨機応変にやってるみたいです。えと、試合だと一本取ったらいったん仕切り直しですが、地稽古だと一本相当の技が入ってもそのまま続けるので、回話題にしているみたいな鍔迫り合いの場面は多くなると思います。

そのあたりの、基本技としては1歩踏み込んで打つ動きをするが、地稽古あるいは試合の動きとして、相手との距離によっては踏み込まずに打つとか、打つ動きではないが隙を見せないようにしながら下がるとか、そういう動きが身についてきて、熟練者の「遠い間合いでの素早い攻防」に至るのではないかと思いました。

剣道の間合いについて

例えば吐き気がするほど疲れていたとしても、自分のサーバーが不調だったりしたら吐き気を堪えてでも対応するだろうけど、それをもって自分がサーバー管理が好きだと解釈するのが正しいのだろうか(解釈というかラベリ...

例えば吐き気がするほど疲れていたとしても、自分のサーバーが不調だったりしたら吐き気を堪えてでも対応するだろうけど、それをもって自分がサーバー管理が好きだと解釈するのが正しいのだろうか(解釈というかラベリングというか、なんといえばいいんだろう)。それは好き嫌いとは別の軸なんじゃないかという気もするけど。うーん。そもそも何かが好きということさえ定義はできないよなあ。

"自分がいかに、いまの時代、いまいる場所の考え方にとらわれているか" ということであれば、ここでいう「人間」を「いまの時代、いまいる場所の人間」と解釈して、その意味での「人間のやることじゃない」とすれ...

"自分がいかに、いまの時代、いまいる場所の考え方にとらわれているか"
ということであれば、ここでいう「人間」を「いまの時代、いまいる場所の人間」と解釈して、その意味での「人間のやることじゃない」とすればいいわけなんだよな。こういうのなんと呼べばいいんだろう。言葉遊びとも循環論法ともニュアンス違うんだけど。

それは吉本隆明さんという方が ある犯罪に際して話された言葉なんですね。 ... - otsune tumblr まとめサイト 画像保管庫Q

これは難しい問題で、公式のルール=建前のルールと世間のルール=本音のルールの対立、みたいなものかなあということは以前書いた。人間はルールに従う機能を生まれながらに持っているとか、幼少期に身につけていると...

これは難しい問題で、公式のルール=建前のルールと世間のルール=本音のルールの対立、みたいなものかなあということは以前書いた。人間はルールに従う機能を生まれながらに持っているとか、幼少期に身につけているという話があって、この場合もルールに従おうとするのだけど、矛盾する2つのルールがあるので単純には従えないし、その場合はどうも世間のルールが優先される感じがある。自動車の速度規制の例とか、ブラック企業の例なんかも同じなのだろうけど。それはそれとして、東京の場合は右側を歩く用に空けておくのが主流なのだけど、タイミングによっては左側に待ち行列ができていて、右側にほとんど人が歩いてないことがあって、この場合が一番むなしい。心に余裕があるときは絡まれることに備えて心の警戒レベルを上げて右側に立って乗るけど、幸いにして今のところ絡まれたことはない。電車が到着した直後などは左側にも行列ができ、右側をガンガン人が歩いているタイミングがあって、かといって左側の人数の方が右側より多いはずだし、どうやって計算すればいいか今すぐはわからないけど、たぶん右側も立って乗った方が全体での単位時間あたりの輸送人数は増えるんじゃないかなあと思いつつ、この場合は右側に立って乗る勇気が出ないなあと思っている。

Twitter / vtotai: ここ最近、駅のエスカレーターが片側を空けずに二列に並んで使う ...

抜刀術で左足を前に出す話とか、同じ原理で袈裟斬りのときに足を反対に使う話は、メルマガで動画をみてたけど、写真の方がわかりやすい気がした。不思議。袈裟斬りのときに、半身になるように足を使うと、ぐるっと回る...

抜刀術で左足を前に出す話とか、同じ原理で袈裟斬りのときに足を反対に使う話は、メルマガで動画をみてたけど、写真の方がわかりやすい気がした。不思議。袈裟斬りのときに、半身になるように足を使うと、ぐるっと回る感じがしてずっと嫌な感じだったのだけど、これを回らないように使うことに稽古のしどころがあるんだろうなあと思ってたのだけど、それは前提から変えちゃった方がよいというのは当時納得するとともに、先入観の強さに驚きました。

: 術の世界に踏み入って: 甲野 善紀: 本

1~2年くらい前に左手の薬指がビリビリ痺れてとても痛いということがありました。 理由はわからないけどときどき起きていて、 最近はそこまで痛くなることはあまりないのですが、 拳を握って力を入れると左の薬...

1~2年くらい前に左手の薬指がビリビリ痺れてとても痛いということがありました。
理由はわからないけどときどき起きていて、
最近はそこまで痛くなることはあまりないのですが、
拳を握って力を入れると左の薬指・小指に違和感がありました。
当時から左の肩あたりに原因があり、
おそらく神経が圧迫されるとかそういうことだろうとは思ってたのですが、
なかなか改善には至りませんでした。

今日になって、痛みがなくなる方法がわかりました。
背中の下の部分は腰として認識されてて、真ん中はなんとなく背中、
上の部分は肩という感じになるのですが、
確かにそういう意味だと背中の上の部分は肩なのだけど、
よく見ていくと左右に肩があって(肩甲骨などの骨や筋肉一式)、
真ん中に背骨が通っているなと。
首が木だとしたら、この部分の背骨はいわば根にあたるということで、
首との関連性で認識したような記憶があるのですが、
最終的には左右の肩と真ん中の背骨の3つのパーツとして認識されました。
確か、背中に力みがあるのを、
背骨を伸ばすようにして緩和できないかと考えていたと思います。
こうした認識の上で、
真ん中の背骨の部分に負担がかからないような角度を探っていくと、
左手の違和感がなくなってきたのです。

他にも重いドアを開け閉めするときの力みとか、
階段を上がるときの脚の疲れとかも緩和されています。
おそらく頭を支えるために全身の力が使わてれいるのがだいぶ楽になり、
動作の方に回す余力ができてきたのかなと。

首・背骨と手指の痺れについて

特に根拠はなくてなんとなく感じてることなのだけど、レーティングって確かにうまく機能してないと思う。アメリカならどうか、というとそれはまったく知らないけど。R-18とかあると、単に18歳以上なら見ていいという機...

特に根拠はなくてなんとなく感じてることなのだけど、レーティングって確かにうまく機能してないと思う。アメリカならどうか、というとそれはまったく知らないけど。R-18とかあると、単に18歳以上なら見ていいという機械的なフィルターとして作用すればいいのに、R-18ということならエロとかありそうだから自分は18歳以上だけど見ないでおこうという作用があったりとか、エロを期待して見にくる人がいるだろうとか、期待している人に対してエロを提供しようとか、なんかそうなる感じがする。書いてるうちに最初に書こうとした違和感の話とはずれてきてるけど、非R-18にはまったくエロがなく、R-18には可能な限り過激なエロがあるという二極化もしそうである。

「風立ちぬ(2013年・アニメ作品)」はPG12に指定すべきだったのではないか。 : ゲームセンターに明日はあるの? - livedoor Blog

このところずっと、もしかしたら数年とか十数年前からの癖なのだろうけど、左肩が前に出ていてしっくりこなかったり、左手の薬指や小指が痺れる原因もそれかなと思っていて、左肩を後ろに引いたり、下に落としたりし...

このところずっと、もしかしたら数年とか十数年前からの癖なのだろうけど、左肩が前に出ていてしっくりこなかったり、左手の薬指や小指が痺れる原因もそれかなと思っていて、左肩を後ろに引いたり、下に落としたりしようとしていました。昨日電車の中でふと気づくとしっくりくる体勢になっていたので検討すると、いろいろなことがわかってきました。

肩はいろんな関節と骨と筋肉でできてます。人間はそのひとつひとつを意識することはてきないけど、なんとなくいくつかのパーツがあるという風には認識してるし、それに基づいて動かしています。そのひとつ、肩を後ろに引こうとする対象の部分なのですが、これはさらに上下の2つのパーツに分けられるというのが、発見です。上パーツは後ろに引くのですが、下パーツは前に出します。そうすると上下のとも後ろに引くよりもしっくりきます。

たぶんこういうのが、甲野先生のいう「身体を割る」ということかなと。今まで1つのパーツだったものが複数に別れていく。ただし別れたところで、組み合わせが増えるわけでもなく、上下の組み合わせが後後→後前に変化しただけで、その他の組み合わせはしっくりきません。腕を動かすときは上下パーツの配分も変わってきますが、それでもしっくりくるのは限られたパターンのみです。身体を割るというのは組み合わせの数を増やすことだと思ってましたが、組み合わせのパターンを変えていくと理解したほうがよさそうです。

第3に、身体を割る等の用語ですが、非常に誤解しやすいというか、最初の印象、先入観が強く入ってしまいますので、あまりこだわらないことが重要だと思います。

最後に、こういう組み合わせがあるというのに気づくまでにはいろいろ試行錯誤が必要でしたが、気づいてしまえばあとは練習不要で、その姿勢を作ることができます。次は他に気になるところを同様に検討していけばいいのです。

肩を落ち着ける話

オブジェクト指向より手続き型の設計がいいのかねえ ・前処理をするクラス ・本処理をするクラス ・後処理をするクラス ・エラー処理をするクラス という風にクラスが分かれているとしたら(この表現でニュア...

オブジェクト指向より手続き型の設計がいいのかねえ

・前処理をするクラス
・本処理をするクラス
・後処理をするクラス
・エラー処理をするクラス

という風にクラスが分かれているとしたら(この表現でニュアンスが伝わるかな?)、それはオブジェクト指向言語を使っていたとしても、手続き型の設計だよね。

でも手続き型も長い歴史をもった流儀なのだし、オブジェクト指向言語でオブジェクト指向設計をしていないから悪だというわけでもなく、むしろ積極的に手続き型の流儀を使っていくべきなんですかねえ。少なくともそういう書き方を好むプログラマーが複数いるのは知ってる。

採用側としては例えばこうなるよなあ。一方で例えばプログラマーになりたいと思った人はどうすればいいのかというと実に難しい気がしてて、例えば学生時代にプログラムの勉強を始めてれば時間もあって身に付くものも...

採用側としては例えばこうなるよなあ。一方で例えばプログラマーになりたいと思った人はどうすればいいのかというと実に難しい気がしてて、例えば学生時代にプログラムの勉強を始めてれば時間もあって身に付くものも多いだろうとは言える。あるいは仕事しながらでも時間と余力のある人は勉強できることもあるだろう。どちらにしても運次第というか、就職活動とかでうまいこといったらうまく行き、割と取り返しが効かない感じがする。それは仕方のないことと思うしかないのかもしれないし、どうにも割り切れない。

もしぼくが採用するなら - Beating the Averages(just like me)

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