一般的に難しい問題だよなあ。何かの専門家を社内にかかえるか、あるいは外部の会社に顧問としてついてもらうか、とか。個人でもそうだよな。自分でいろんな知識をつけるか、あるいは専門家に頼むか。外部に頼むとしたら、その人の判断が正しいのか一応わかるくらいの知識はやっぱり必要になるだろうし、社内に専門家を置くにしても、その人のやってることがわかる必要があって、結局経営者は全部わからないといけない?
AIJ問題の本質は、「能力なし意欲なし経験なし」の担当者を「プロ扱い」して保護を取っ払ったこと
CVSからSunversionに乗換えたときは、すごく理解しやすくなったと思ったし、これは便利だなあという感覚が強かったんだけど、SubversionからGitだと、むしろわかりにくくなった感じしかしないんだよなあ。ブランチもタグもスナップショットも、全部 svn cp で分岐してければいいじゃんというのは、本当にわかりやすい。
同一性保持権については、現状の考え方に違和感があるんだよね。こういうたとえだとプログラマーにしか通じないかもしんないけど、自分の書いたコードに意味不明な改造をしたものをtrunkにコミットされると、死ねよという気分になるから、これは同一性保持権の侵害としたい。でもフォークしたものに改造する分にはご自由にどうぞ、という感じ。
絵なら物理的にオリジナルのものにヒゲとか書かれるのは困るけど、印刷物ならいいよ、ということになるかねえ。
fukken: 替え歌を権利的にシロにするには、レコード会社やJASRACではダメで、作詞者などに直で話をつける以外に方法が存在しない。「替え歌動画」というのは実は権利的にはオリジナルの歌をそのまま歌うより制限が厳しい。まあ、著作権者の心理を考えると納得できる制度ではある。
膝が痛くなることについて、もうちょっとわかってきた。足腰の動きにおいて、膝って一番動きやすいから、各種関節が動いたあと、その調整役として働いてしまう。それは意識して膝を動かしてるわけじゃないので、膝にかかる負担が大きいのではないか。足首とか股関節とかに調整役を分担させなければならない。
膝が調整役となって負担がかかるのは、例えば半身になるときに足の位置は固定していて膝を曲げることによって、膝の位置が足よりも前に出る場合とか、洗い物をするときに前屈みになって、重心の調整のために膝を曲げるとか、そういう場合。
半身になる場合であれば股関節の活用によって調整すればよさそうだし、前屈みのときは足の指を曲げたり股関節から前屈したりすればよさそう。
ふだんはあまり意識しないんだけど、やっぱり僕は人に頼み事をするのが苦手なんだなあ。
子供の頃、たぶん小学校に上がる前だと思うんだけど、
祖母に何かゲームをやろうとねだって、今忙しいとこっぴどく怒られたこととか、
あるいは何なのおもちゃを母にねだろうとして結局言えなかったとか、そういう記憶はある。
んで、頼み事が苦手ってのは自分の生き方までも左右している気はするんだよね。
なんでそういうのを思い出したかというと、
・誰それさんに頼めば一発で解決するところを、無意識にそれを避けたために歪なものができた
・ぜひやってほしいとか、すぐにやってほしいと言いたいのに、無意識に弱いニュアンスになってしまう
というのは明かに頼み事が苦手ってことから来てるし、
・依頼したことの細かいところが相手に伝わってない
というのも、仕組みがわからないけど、頼み事が苦手なのと繋がってる気がする。
正直マネジメントとか現場のリーダーとかの仕事をするにはハンデだよなー