掃き掃除であれば竹箒と室内用の箒では使い方が違ったり、広く掃くときと溝を掃くときでもやりかたが違ったりする、というのを仮定してみる。実際どれくらい違うのかはいまいち実感がないんだけど、無駄を省いていくと、どこかでそういう細かいところが必要になる気はする。
んで、娘さんに技を教えるとすると「なるほど、言われたようにやってみたら無駄がないなあ」という感じの驚きがあるか、「よくわからないけど父ちゃん(母ちゃん)すごい。ああなりたいから真似してみよう」という感じの驚きがあるか、どっちかだと成長があるんじゃないかな。このタイプだと、竹箒はわかった、じゃあ室内用の箒だとどうなるんだろう、という感じに成長していく。
一方「これが正しい竹箒の使い方だ」みたいに習ったとすると、広く掃くときも溝を掃くときも、室内用の箒でも同じ使い方をしてしまうんじゃないか。それだと無駄があるのだけど、これが正しいのだと思ってるから工夫ができないか、ごく狭い範囲の工夫で終わってしまうのではないか。
ところで、子供に教えるときには、いろんなことが単純化されていて、現実とは異なってるはず。その単純化されたものを正しいものとして扱っているとどうしても限界がある。成長過程でもっと現実に近いものに交換していく必要がある。学校の勉強はけっこううまくできていると思うんだけど、そこから漏れるものは難しい。経済の仕組みがどうなってるんかなんて、僕は小学校のときに読んだ学習漫画レベルだったりする。体育とかは自分で気付く人もいるかもしんないけど、部活で専門的にスポーツやってる人とかじゃないと、小学校的な身体観で固まってしまうような気もする。そういうことを考えると、みんなで体操をするとかじゃなくて、自由に遊ばせるのが大事という説も納得がいく。
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胃がもたれる。そういえば木曜かな、昼にカレー食べたら胃が痛かったし、ちょっと食べ物には気を使っておくか。
「本給はいじらないで、業務内容で差をつける。責任範囲や部下の数や使える経費の多寡で差をつける」ってのが、会社視点だと合理的かもしんないなあ。薄給でも責任ある仕事ができるなら嬉しい、という性格の人に重要な仕事を任せ、そうでない人は薄給かつ重要でない仕事をさせる。責任ある仕事で苦労しているのだからもっと給料をくれ、という人には我慢してもらうか、会社をやめてもらう。
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子供のころ学んだものは子供でも理解できるように単純化されてるから、どこかでより実際に即したものに取り替える必要がある。あるいは単純化しないで教えるのが適切かもしれないが。どちらにせよ、中途半端で放り出されると苦労する。自分で気付くのが楽しいという考え方もあるけど。
眠ってないけど、目を閉じると夢を見ることあるな。白昼夢?
小学校では休み時間にトイレに行くと、その間にドッジボールが始まっていて、輪にはいれないので本を読むなどしていた。5年が6年のとき、みんなと遊ぶよう担任に命じられて、なんとか遊ぶようになった。いま思い出すだけで嫌になる。
小学校。 -
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誰かからアドバイスをもらっても言葉を通すと解釈が歪む。理由を追求すること。実際のやりかたをよくみること。疑うこと。自分で試すこと。
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