ニコニコ動画の「ニコニコ動画性」ってのは動画にコメントが乗るってところにあるのか、日本の会社で動画サイトをやってることにあるのか、あるいはMAD文化なのか、これらは切り離すことが可能なのか、あるいはコメントが上に乗ると必然的にMAD文化になるのか、単なる土管であるべきなのか、文化が育つべきなのか、いろいろモヤモヤはするんだけど、毎回疑問を言語化できなくて困る。
Twitter / Tomohito Kinose: ニコ動からMAD職人が消えるのがニコ動の終わりの日だ ...
・ #杖術 逆手持ち?の素振りメインの回
・体重が左右の足に均等にかかるか、ちょっと偏りがあるかで、手の動きも変わってくる
・このところ稽古してると膝(左右とも)が痛くなることがあるので困り気味
・体重を左右に均等にするのが難しいとか、膝が痛くなるとかは、左足の指の使い方かも。要検討。
・子供の頃に合わない靴を履いていて指が歪み気味という認識。息子が靴を履くようになったら気をつけよう。
10月30日および11月3日、稽古会レポート。: 杖術体術稽古 機縁会
プログラミングは「見て学ぶ」というのができにくそうな感じがして悩む。ブログとか書いて遊んでるのも、プログラム書いてるのも、指の動きとかは同じようなもんだし。とはいえ自分はプログラミングについては誰かの作業を見て学ぶということはしなかったっていうだけで、一般的にはそんな難しいことではないのかもしれないが。
新人教育は面倒だからこそ自分を追い込んで取り組む
独り合点というか、ある情報を自分が知ってるとして、それを相手が知ってるかどうかとかあんまり気にしない傾向があるんだけど、例えばふらっと出かけていって、後でどこ行ったのか訊かれて、そういうえば言ってなかったから知らないんだなーとか納得するとか、そういうのね。これがどうも親ゆずりっぽいので、ちょっと納得した。
しかしこの性質は説明しづらいんだよなあ。「どこ行ってたの?」「え、なんで知らないの?」みたいな驚きがある。客観的に考えれば言ってないんだから知るはずもないんだけど、主観的には知ってて当然という感じ。でもよくありそうな「これ言っといた方がいいかなあ。いや言うまでもないだろう」みたいな判断の結果として言わなかったとかじゃなくて、言うという発想がなかったりする。
似た現象として「この話あの人に頼んどかなきゃ」って思った数分後には自分の中では頼んだつもりになっちゃうことがあるけど、これはたぶん誰にでもあることだろう。
Google Reader に登録するフィードはなるべく atom > rss2 > rss1 という優先順にしてたんだけど、方針を変える。なるべく RSS Auto-discovery で認識されるものにした方が、同じURLで登録している人が増えてポーリング間隔が短くなりそうなので。本当はTwitterがPuSHに対応してくれるといいんだけど、あそこは本当に協調性がないな。
今日は4000記事ちょい読んだ。やっぱり週末にまとめて読む感じだなあ。
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