昨日か一昨日くらいに気付いたことなのですが、肩のあり方を考えるのに、肩を基準にするのではなく、胸を基準にするということから始まりました。斬込入身という動きで、手を前に出すときに肩が突っ込んでしまうので...
昨日か一昨日くらいに気付いたことなのですが、肩のあり方を考えるのに、肩を基準にするのではなく、胸を基準にするということから始まりました。斬込入身という動きで、手を前に出すときに肩が突っ込んでしまうのですが、そうならないようにするために肩を落とすとか、背中をどうするとかは考えてきたのですが、あまりうまくいってなかったのです。ところが、むしろ胸を左右に開くような感覚を入れると、肩が突っ込まないようになります。ただしその場合は腕の自由度が失われるという問題点?があります。
きっかけはそれなのですが、いくつかに発展していきそうな話です。左右に開くことで、右手をメインで使うときに左手がバランスを取るような動きをしてくれます。暇な方の手を活用する話( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar497622 )と関連してますね。また「四点不動」という、これはたぶん中島先生( http://hanmidosa-waza-ari.cocolog-nifty.com/ )の造語だったと思うのですが、左右の肩、左右の股関節が1つの平面に乗るような位置関係を保つという意味の言葉があって、胸を開くことによって、その位置関係が保たれるような気がします。引き戸の開閉のときに、二力の合成の第一歩( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar461098 )として目指していた、胴体と腕がそれぞれ動くというのも、胴体がクルっと回転する感じがあって、悪くない感じです。
改めてきっかけになった手を前に出す姿勢を見てみると、腕の自由度が失われるという問題点を補うために、もともと肩(肩甲骨?)が担当していた可動域を、脚や腰が担当しようとすることで、多くの部位が動きに参加できているようです。子供の手を引くなどのときに試してみると、やはり感触がよりなめらかになったように感じます。
ナイハンチの動きで考えると、肘打ちや鉤突きのときに胸を閉じれば楽に突けますが、逆に胸を開くようにしてみるというのがあります。払い受けのときは素直に胸を開くという感じがしますし、逆側の胸も閉じないというのも試してます。足を上げるときは、胸を開いて作った姿勢に、腰もまた開くことで合流するという動きがありそうで、この場合は重心移動が(感覚的には)小さくて済むようです。
きっかけはそれなのですが、いくつかに発展していきそうな話です。左右に開くことで、右手をメインで使うときに左手がバランスを取るような動きをしてくれます。暇な方の手を活用する話( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar497622 )と関連してますね。また「四点不動」という、これはたぶん中島先生( http://hanmidosa-waza-ari.cocolog-nifty.com/ )の造語だったと思うのですが、左右の肩、左右の股関節が1つの平面に乗るような位置関係を保つという意味の言葉があって、胸を開くことによって、その位置関係が保たれるような気がします。引き戸の開閉のときに、二力の合成の第一歩( http://ch.nicovideo.jp/fuktommy/blomaga/ar461098 )として目指していた、胴体と腕がそれぞれ動くというのも、胴体がクルっと回転する感じがあって、悪くない感じです。
改めてきっかけになった手を前に出す姿勢を見てみると、腕の自由度が失われるという問題点を補うために、もともと肩(肩甲骨?)が担当していた可動域を、脚や腰が担当しようとすることで、多くの部位が動きに参加できているようです。子供の手を引くなどのときに試してみると、やはり感触がよりなめらかになったように感じます。
ナイハンチの動きで考えると、肘打ちや鉤突きのときに胸を閉じれば楽に突けますが、逆に胸を開くようにしてみるというのがあります。払い受けのときは素直に胸を開くという感じがしますし、逆側の胸も閉じないというのも試してます。足を上げるときは、胸を開いて作った姿勢に、腰もまた開くことで合流するという動きがありそうで、この場合は重心移動が(感覚的には)小さくて済むようです。