わかったようでわからないなあ。 生きてる人の恨みを買うのを恐れ、死人の祟りを恐れるのは、 たぶん多くの文化に共通する。 そうじゃないと人間社会が成り立たないのであって、 人類はたまたまそういう感...
わかったようでわからないなあ。生きてる人の恨みを買うのを恐れ、死人の祟りを恐れるのは、
たぶん多くの文化に共通する。
そうじゃないと人間社会が成り立たないのであって、
人類はたまたまそういう感覚を持ってたために、社会を作れたのではないかと、
そういう気がする。
んで、アブラハムの神のような、「神様の命令の前には人間の祟りなんか恐くない」
というのを持ってくることで、祟りを克服できるというのも、あるのかもしんない。
日本の場合は鎮魂のためのいろいろな手段や、話し合い至上主義を選択したと。
ここまではわかるんだよな。
学術的に正しいかどうかはわからないけど、1つの解釈として筋は通っている。
わからないのは、なんで日本は鎮魂と話し合い至上主義になったのかということ。
あと言霊。
4巻(平安時代)にはもう言霊も怨霊も確立していたということなので、
どういう経緯なのかは気になるなあ。
Fuktommyはこんな本を読んでいます。 - 逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)