個人のtwitterとかは公私の中間であるべきだと前々から言ってるけど、もう社会の流れには逆らえないだろうな。単に閲覧制限をかけてないだけで、多くの人に積極的に配信してるのとは違うのだと、捉えるべき。...
個人のtwitterとかは公私の中間であるべきだと前々から言ってるけど、もう社会の流れには逆らえないだろうな。単に閲覧制限をかけてないだけで、多くの人に積極的に配信してるのとは違うのだと、捉えるべき。それは例えば自宅サーバーに文書を置いて、httpd経由でアクセスできるようにすると、実感できると思うんだけどね。インターネットに繋いだだけであって、こちらから送り込んだわけではない。これが例えばtwitterやブログサービスとかだと、向こうのサーバーに送り込む手続きがあるわけで、それと世界中の読者に向かって送り込むのが混同されがちなのかもしれない。
ウェブは心の叫びを書くには社会的すぎるんだよね - novtanの日常