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本文とはあんまり関係ないんだけど、脳と痛点の関係というのを思いついたので書いておく。 僕が困ったことがあると上司にアラートを上げて、上司がいい感じに判断してくれる、みたいな関係をイメージしてほし...

本文とはあんまり関係ないんだけど、脳と痛点の関係というのを思いついたので書いておく。

僕が困ったことがあると上司にアラートを上げて、上司がいい感じに判断してくれる、みたいな関係をイメージしてほしい。僕が痛点で、上司が脳。どういう比喩がいいのかわかんなかったけど、最初に思いついたのが「脳とセンサー」だったのでそれで行っちゃう。

脳の機能を強化していこうと思えば、痛点には余計なことを考えてほしくないのではないか。とにかく困ったらすみやかにアラートを上げるべし。対応等を考えるのは脳の役目だ、と。

一方、現場で困っているとして、確実に上司を動かそう、そのためにはどうやって説得するか、というのを考えるのは脳の役割であって、いい感じのアラートを上げるための工夫をするとしたら、それは痛点に見えるけど実は脳なのだろうと。

以前から代議士を動かすには有権者が工夫をしなければいけないというのを僕は問題だと思ってて、問題じゃないと思ってる人にとっては全然不思議ではないっぽいのだけど、とにかく僕は問題だと思っており、なにか見方が違うんじゃないかと思ってたわけ。僕の感覚だと、有権者は痛点であって、脳にはアラートを検知すべき責任がある。痛点に求められているのはすみやかに、的確にアラートを上げることであって、アラートの上げ方を求められているとしたら、脳の怠慢であろうと。

相手から見える風景を想像する - レジデント初期研修用資料
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