これは掲示板での犯行予告にも通じるのだけど、不特定多数とはいっても、その掲示板を見に来ている人相手に犯行予告をするなり、試験の答えを訊いたりしてるだけなのに、「全世界に対して公開した」という扱い...
これは掲示板での犯行予告にも通じるのだけど、不特定多数とはいっても、その掲示板を見に来ている人相手に犯行予告をするなり、試験の答えを訊いたりしてるだけなのに、「全世界に対して公開した」という扱いを受けることへの違和感だと思うんだよね。決められた参加者しか見れない空間でもなく、全世界に積極的に公開しているわけでもない、その間にある独特の感覚なのだけど、これが社会的にうまいところに位置付けられないかなあとか思ったりする。何年も前から思ってるだけなんだけどね。
「カンニングを刑事事件したのはおかしい」なんて的はずれ!京大入試業務妨害事件「犯人逮捕」は間違っていない 玉井克哉東大教授(知的財産法)が緊急寄稿 | 経済の死角 | 現代ビジネ - はてなブックマーク - 新着エントリー