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特に史料も根拠ないけど、明治以降の剣道史において、正しい剣道という発想が出てくる流れについて、納得した。 剣道・撃剣は江戸時代には既に一定のルールでの競技ができていたし、それに基づいて各地方や各道場...

特に史料も根拠ないけど、明治以降の剣道史において、正しい剣道という発想が出てくる流れについて、納得した。

剣道・撃剣は江戸時代には既に一定のルールでの競技ができていたし、それに基づいて各地方や各道場での技術の発達があった。明治以降は社会のいろいろな面で中央集権的な方向が生まれた。剣道でも中央の、全国統一方式に合わせようとしたはずで、これは中央からの押し付けではなく、各地から求める動きでもあったはず。これに応えるかたちで例えば剣道形が作られる。

明治以降に競技化し、それと呼応して技術が発達した柔道とは異なり、剣道は一旦発散したものを再び統一しようとしたので、求心力が強い。その方向性が現代に至るまで続いており、時間とともに求心力もまた強まっている。という解釈。
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