子供、ピアノ好きなのは確実なんだけど、ピアノ習わせてみるかは悩みどころ。いろいろ弾けるようになるともっと楽しいかもしれないし、そうでないかもしれないので、リターンが謎。相性の悪い先生に当たるとピアノ嫌いになるリスクは確実にある。まあ今すぐ結論を出す必要もないのだけど。
そういや子供を見てると、殴るより蹴るほうが、人間には自然な動きなのかなと思ったりする。
カード対応のステッカーが貼ってあっても実際には使えなかったりするから困る。あとタクシーがスイカ非対応のときに、じゃあ乗りませんという勇気がない。
HORINOUCHI Masato on Twitter
答えが1つしかないならば、答えが1つになる程度の問題しか出してはいけないのではないかなあ。
なぜ学校の国語のテストの答えは一つなのか? - 僕と本と未来
状況をどうしようとかあんまなくて、とにかくこっちが怒ってることを相手にも理解してもらいたい気持ちが強い。まああんまし通じる気もしないんだが。
私はキレる人間ではないので、キレる人の精神構造が全く理解できないので..
自分が男なので、息子が好むものが男の子的なものなのか、男女関係なく好むものなのか、わからない。
2歳児と文化的性差 - カリントボンボン
先回りしておもてなし、という表現は高柳さんが言ってたと思うけど借用する。相手に手首を掴んでもらって、手首は放っといて前に歩くと手首が上がって、手首を直接上げるよりいいよね、というのは斎藤さんの稽古会で体験したけど、これとか、合気道の呼吸法のイメージとかがヒントになってる。子供の手を掴んで、引っ張ったり押したりすると綱引きになってしまうので、手は放っといて、相手の後ろに回り込むようにすれば後ろに誘導できるし、相手の前斜め下までしゃがめば前に誘導できる。これが自分的には先回りしておもてなしというイメージに合う。
相手がどうなるかは一旦おいておき、こうなってるはずという状態を先に作ってしまう。結果的に迷いがなくなるという利点があるはず。またこれは胴体と腕の二力の合成でもあるはずで、今までの胴体も腕も手の位置を変えようとするのでは、独立した二力にならないのではないか。
例えば手を上げるとすれば、腕が上がる前に、上がったときの状態を肩で作ってしまう。これも肩が腕に先回りしてのおもてなしといえる。つまり体を割って同時実行することになる。通常だとやはり腕が上がってから肩が動くのだろう。それを意識の中で前後を入れ替えることで、やっと同時に動くくらいになるのだろう。
全体的にみるとよいこととも言えなくて、手が先行すべきで追い越しはよくないという原理に反している気がする。あるいは前に出る状態を作ることで、相手に技をかける準備をしてることになるし、自分が技を受けるときに感じる、相手のモードが変わって、これは技が来るなという気配に通じる気がする。
とはいえこういう感覚が出てきた以上は、追求しなければならない。