可視化の功罪とか管理人のありかたとかごたまぜ的に
「コメントできなかったので、こっちで。 - ekken?」 とかそのあたりの話題について。
たとえば 「新宿駅は単純ですよ」 という記事に対してつけたコメントを、はてなが集めてきて表示すると、 「はてなブックマーク - 新宿駅は単純ですよ」 みたくなります。 これはコメントをつけるシステムと集めてくるシステムがどちらも はてなブックマークなわけだけど、 別々だっていいわけで、 「link:http://blog.fuktommy.com/1215099387 - Google ブログ検索」 の場合は、 ブログを書くシステムはそれぞれのブログサービスで、 集めてくるのはGoogleで、違っています。
だから、仮にはてながブックマークの一覧のページをなくしても、 誰かがデータを集めてくるシステムを作れば同じだよねということになり、 本質的には 「データを集めてきて可視化することの是非を問う」ということになるのかな、 とか思ったり。
一般的に可視化にはいろいろ利点があるわけだから、 「可視化には欠点もある」と主張するのはおかしなことじゃなくて、 その範囲では「可視化しただけだから罪はない」と反論するのはおかしいです。 その立場を取るなら「可視化しただけだから利点とは言えない」と言わないと バランスが取れない。 可視化ってのはたとえば バーンダウンチャート みたいなのも含んだ話です。
とはいっても可視化すること自体が悪いことだという気はしないし(主観)、 可視化を禁止するというのも何か変な感じはするんですよね。 いい悪いは別にして、可視化の方向には進むと思うし、 たとえば「現代は悪い方向に進んでいる。江戸時代の方がよかった」 っていう人がいたって、でも江戸時代には戻れないじゃないですか、 という感覚に近いかな。
あと罵倒についてだけど、 現実世界にも罵倒はあるのだから、ウェブ上にも罵倒はあっていいし、 むしろあるべきだ、というのが僕の基本的な考え方です。
それから管理人について。 管理人はその力の及ぶところに限っては「神」なんですよね。 アカウント削除とか、アクセス禁止とかにしてしまえば、相手は死んだのと同じになる。 現実世界では神様は個別の争いには介入しないでしょ。 だから管理人も個別の争いには介入すべきではない、と思ってる。 神が力を発揮してよいのは、「世界」を存続させるためだけで、 だからユーザーの投稿量が多く、 システムに負荷がかかることを理由に制限をかけるのはありなんだけど、 スパムを送ると他のユーザーに迷惑だから禁止というのはよくないと思います。 実際にはなかなか難しいけど。