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安全を自由で買う

小女子事件について。 安全を自由で買うというのは 「敵は海賊・不敵な休暇」 に出てきた表現だと思うのだけど、 もし社会を極端に安全側に倒したとすると、 あらゆる前兆をみつけて警察が介入して、事件を未然に防ごう、 という流れになるんじゃないかな。 例えば日記に不穏なことを書いていたのを家族がみつけたとか、 レストランの隣のテーブルから何か不穏な言葉が聞こえるとか、 そういうことがあったらすぐ通報して、 警察がその人を拘束して、事件が未然に防げると。 実際に何か企んでいたら未然に防げてハッピーなのだけど、 そうでなく間違いなら、警察はリソースを無駄にしてしまったことになります。 その責任は動くと判断した警察にもあるけど、動かないと判断するのは無理だろうし、 通報した人にも責任はあるけど、それを問うと通報されにくくなってしまうから、 結局は拘束された人に責任が行くわけです。

逆に自由の側に倒すと、 秋葉原事件のように、みようによってはSOSにも見えるような書き込みがあって、 誰かが助けることができれば事件は起きなかったかもしれないけど、 少なくとも警察はなにもしてくれず、ひたすら市民の善意に頼るしかない、 という社会になります。

そのあたりでどうにかバランスを取ろうとしているのかなと見ています。

本題とは関係ないけど、 犯行予告というと、怪盗が何か盗むという予告を美術館に送るような、 挑戦状としての側面を持つような響きがあって、 今回の件は通報者と警察によるサルベージの結果として 犯行予告が表に出てきたので、なんか違和を感じもします。

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