文面はどうあれ本心はこうなんだ、という主張
「ニコニコ動画の人気と唐沢盗作騒動」の感想。 これをダブルスタンダードでなくす手段が1つあるんですよ。 それは 「この作品の権利者は、無断転載禁止とは書いてあるけれども、 本当は転載されても構わないと思ってる。 でもこっちの作品の権利者は、本当に転載禁止を願ってるんだ」 という主張で、文面はどうあれテレパシーでわかるんだ、みたいなの。 テレパシーがあれなら、状況証拠的にわかるんだ、でもいいけど。
「言葉より大事なのは本心ですよ。言葉だけを見てては駄目です」ってのも
「本心なんて完全にはわからないし、変わるかもしれないから信用できません。
約束の対象は言葉だけです」ってのも
主張としてはどっちもありかな、とは思います。
僕が比重を置いてるのは後者ですけどね。
空気読め。
(2行でわかるニコニコ動画利用時の鉄則。 - Something Orangeより)
ってのは好きか嫌いかでいえば好きじゃない。
ニコニコ動画の場合であれば仮に権利者の本心が「転載OK」だとしても、 それを言葉にする方法がほとんどないし、 その必要性も意識されてないんじゃないかと。 転載OKと言わない方が、 あとから削除依頼を出すなり、そのほか法的な手段に訴えるなり、 手札が多くていいよね、と。 とすると本心が「転載OK」なのか「転載NG」なのかに関わらず 表に出てくる言葉は「転載NG」なわけですね。
まあ誰が困るかっていうと、 僕のような「空気読めない」もしくは 「空気は信用できないから言葉にせよ」な人だけで、実質的に害はないと思いますけど。 だから現状が(僕にとって)改善することはないでしょう。