基礎と応用に線は引けない
「uumin3の日記 - 「基礎が大事」という信仰について」についてだけど、 勉強みたいなものは基礎と応用に分けるのは、実態に合ってないというのが実感です。 ここからここまでが基礎でその先が応用という 線が引けるわけじゃないというのが一点。 今は基礎段階だから辛いけど、その先には楽しい応用が待っている、 というのもよくない解釈で、 今が辛いならすぐに見直すべきじゃないかというのがもう一点です。 ある事柄を学んで、それを応用して次の事柄を学ぶという 繰り返しと考えた方が実態に近いんじゃないかな。
パラシュート勉強法も連想しました。 あと「ある事柄を学ぶにあたって、ある程度身についたところで、 それを応用する事柄を先に勉強してしまう。 すると基礎側の事柄がより深く身につく」メソッドがあったはずです。 名前は忘れたけど。
それから
REVの日記 @はてな - "「基礎が大事」"というのは、『信仰』だ。
の
近代以前、ロスが許容できない徒弟制度では、皮むき3年とか、そういうキャリアパスだったものと思われます
というのは甲野善紀先生の指摘が興味深くて、
「いきなり難しいことをやらせたら失敗し、苦手意識が植え付けられます。
3年間師匠の技を見ていれば失敗なしに学ぶことができます」みたいな。
反面、見ることから学べない、才能のない弟子はばしばし馘にしていくんじゃないかと心配なんですけどね。
甲野先生自身は徒弟制の人ではないからこういう教え方はしてないと思いますし、
正しい内容は原典にあたってほしいんですけど、
何か雑誌のインタビューだったかな、詳細がわからなくなってしまいました。
甲野先生というと「私の武術に基本はない」とか 「基本が大事というのは軽々しく使う言葉ではない」みたいなことを 昔からおっしゃっていて、これはたいていの著書に書いてあるんですけど、 これを技術の話に落とし込むと、 「新しい発見によって技術や教育の体系が大きく変わることがある。 旧体系の基礎の上に新体系があると解釈するのは無理がある。 新体系の基礎の上に新体系の応用部分があると解釈すべき。 つまり旧体系の基礎は新体系の基礎に置き換えられる。 基礎が大事という言葉によって旧体系の基礎に固執してしまうことが多々ある」 という感じかと。