査読制Wikiというのもアリかもしれない
Wikiは誰でも書き換えられることに1つの特徴があるわけだけど、 じゃあ本当に誰でも書き換えられるような運用が最適なのか、というと ちょっとわからない。
何か間違った情報があったとしたら、さりげなくそれを直しておきたいけど、 単に直してしまっていいのかとも思う。 もしかしたら間違っているという自分の判断が間違っているかもしれない、と。 じゃあもともとの文を残して註釈を入れるかというと、今度は読み難い。 コメントアウト機能があるWikiもあるけど、 修正が続くとやっぱり読み難くなってしまう。 Wikiの機能で履歴を保存することもできるけど、いちいち前後を比較するのも面倒。
だったら掲示板みたいなものに「これ間違ってません?」と書き込んで、 編集担当者が「じゃあ直しておきますね」と彼の責任で直してくれた方が楽だし、 すっきりするんじゃないかと思う次第。
考えると2chのまとめサイトってそんな感じじゃないでしょうか。 で人が増えすぎて管理人の手に負えなくなってwikiに移行した例がこちら: Debian GNU/Linux スレッドテンプレ。
この話は以前書いたかもしれない(検索には出てこなかった)けど、 「ウィキペディアって大丈夫なの??01」 「ウィキペディアって大丈夫なの??02」 をみてそんなことを思いだしました。
この記事によるとWikipediaの前身プロジェクトは査読制度だったわけですね。 論文誌みたいな厳しい査読はどうかと思いますけど、 執筆者は掲示板に投稿して、 編集者が本文に反映させるという仕組みでもいいんじゃないかと思うわけですが、 どうなんでしょう。 編集者の負担はものすごく大きくなるかもしれませんけどね。 査読作業は半自動化してしまって、 基本的にはそのまま本文に乗せるようにすればいいのか。 ってそれは現在のWikipediaの実装か。
あとは新月的なアプローチができないかという話。 新月だと同じ掲示板でもノードによって書き込まれている内容が微妙に違います。 例えば反社会的と思われる書き込みがあったとき、 これは反社会的だから削除しようという管理者がいれば彼のノードからは消えますし、 反社会的とは言い切れないから残しておこうという管理者のノードでは残ります。 公式のWikipediaにはこう書いてあるけど、 自分はこう書くべきだと思うからこう書いたんだ、というのが 公式の記述と彼の記述として両立するような仕組みはできないのかな、と思ったりします。
ライセンス的にはできそうな気もしますけどね。 Wikipediaの文章は条件を満たせば転載できたはずなので、 このページは自分独自、それ以外はWikipedia準拠というようなものもできるかも。
新月Wikiなんか機能してないもんね。 まあ僕はWikiには期待してなくて、 各自が勝手にまとめサイトを作ってくれるのが理想だと思ってるんですけど。 特にWindows上での話とか、常時稼働じゃない人の話とか、 僕は全然把握してませんからね。 そういうのは該当する人が担当してくれないとどうしようもないです。