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斉藤環「戦闘美少女の精神分析」

斉藤環「戦闘美少女の精神分析」 が文庫になったので買ってきました。

(略)なぜアニメのヒロインはみずから武器をとり、 その思春期を戦闘行為に捧げるのだろうか。 なぜ彼女らは勇敢なヒーローに守られ、 あるいはよりそうだけの存在に甘んじないのだろう。 なぜ彼女らは成熟した女性として男勝りの活躍をする時を待たないのだろう。

という問いをセクシュアリティの側面から解いているわけですが、 あまり腑に落ちませんでした。 そこで 新城カズマ「ライトノベル「超」入門」 を参考にして、自分なりにちょっと書いてみようかと思います。

初期の歌舞伎は、非常にシンプルです。 悪人、お姫様、忠臣、みたいな非常に明確な類型で始まってます。 それがそのうちに、悪人が実はヒーローでしたとか、 お姫様が実は若衆の生まれ変わりで淫乱でさらに蛇の霊が、 みたいなことになっていきます。

これは登場人物が複数の類型の重ね合わせでできているという話なのですが、 物語も同様に、類型の重ね合わせでできているのではないかと思うのです。

ちょっと極端な例かもしれませんが、 J9シリーズ【ブライガー・その他】その3より「銀河烈風バクシンガー」について:

706 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい [sage] :2006/05/13(土) 19:17:15 ID:???
しかし、隣の星までバイクでひとっ飛びだもんなぁw
ロボット+新撰組+暴走族+歌謡ショー……まさに奇跡の組み合わせだ。

例えば巨大ロボットもののアニメを作るとします。 主人公は視聴者が感情移入しやすいように、中学生くらいの少年にします。 恋愛要素も入れましょう。同年代のヒロインを出します。 これをそのまま作ると主人公がロボットに乗って戦って、 ヒロインは単に守られる役になるでしょう。 ところがこれにクラスメイトとの恋愛、みたいな要素を入れるとどうなるか。 主人公がロボットに乗り、ヒロインとはクラスメイトにあたる関係だとすれば、 ヒロインも同様にロボットに乗ることになります。 エヴァンゲリオンのことなんですけどね。

つまり、アニメ・漫画・ライトノベルを大量生産することになると、 1つの類型で1つの作品を作ろうとするとタネが尽きてしまうわけで、 バリエーションを出すには複数の類型を重ね合わせる必要があります。 その結果として戦闘美少女が生まれてくるということなんじゃないかと。

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