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子供が突き飛ばしてきたので、手首を掴んで引き倒して水平回転させて、背中からクッションに倒した。手を持っておくと、割と安全に思える。こっちも立ってたからやりやすかった。寝てるときどうするかだな。 外で...

子供が突き飛ばしてきたので、手首を掴んで引き倒して水平回転させて、背中からクッションに倒した。手を持っておくと、割と安全に思える。こっちも立ってたからやりやすかった。寝てるときどうするかだな。

外で手を引いてるとき、前に屈まれると対応しづらかったが、尻もちつかせる系の崩しをして、背中を脚で支えると、今日はなんとかなった。この方法もまた対応されるんだろうな。

#杖術 で速く動こうとしたときの限界はあちこちにあるけど、ゆっくり動こうとしたときの限界は、体の倒れ込みの制御だと思う。足を上げる体が倒れ始める倒れ過ぎないうちに足を下ろす、みたいな動きを考えると...

#杖術 で速く動こうとしたときの限界はあちこちにあるけど、ゆっくり動こうとしたときの限界は、体の倒れ込みの制御だと思う。足を上げる→体が倒れ始める→倒れ過ぎないうちに足を下ろす、みたいな動きを考えると、特に制御しなければ、足を上げていられる時間は重力とかそういうので決まってきて変えられない。ので、軸足側の膝を抜いたりしてなんとかバランスを取る。基準は腰の傾きを(少なくとも感覚上では)変えないことと、脚の筋肉に負担がかからないようにすること。倒れ込みに追いつこうとして体のあちこちがバタバタしていたのが、ゆっくりになると解消され、納得できる感じになる。

#杖術 の影踏み。 2手目で右脚が遊んでると思った。 右脚は体重を支えてほしい。 体重を支える感覚を残したまま、右足を後ろに引く。 腰の角度を変えないように、左の膝を抜く。 下三方は意識しなくてもその...

#杖術 の影踏み。
2手目で右脚が遊んでると思った。
右脚は体重を支えてほしい。
体重を支える感覚を残したまま、右足を後ろに引く。
腰の角度を変えないように、左の膝を抜く。

下三方は意識しなくてもその動きのヒントになるのかな。

下段抜き。
1歩目2歩目は両足で均等に体重を支える感覚。
右足を上げるときも感覚を変えない。
1歩目2歩目がうまくいけば、そのノリで3歩目も行ける。
実際には助走をつける感じで、徐々に左足に体重が移動してるのだろう。

悪意・敵意・怒りを向けられた(と思った)とき、敵意で返してしまうのはやっぱりよくない。敵意の衝突は良い結果を生まない。稀に無意識に敵意を躱していることがあるが、いつもそうでありたい。 これは体術とも...

悪意・敵意・怒りを向けられた(と思った)とき、敵意で返してしまうのはやっぱりよくない。敵意の衝突は良い結果を生まない。稀に無意識に敵意を躱していることがあるが、いつもそうでありたい。

これは体術とも関係している。相手の敵意を躱すのは、どうすれば相手を制圧できたことになるのかというのと同じだと思う。今まではそこまで考える余裕はなかったが、余裕の有無というより、そこは考えないといけない。

あるいは打撃系の攻撃を柔術系でどう捌くかという問題でもある。打撃が来るのを待ってしまう、受け止めてしまう心理がある。同時に打撃が怖い、嫌だという気持ちもある。これは矛盾してるようだし、表裏一体だという気もする。

具体的にいうと、子供がまたひとつ成長して、今まではふざけて足をバタバタして蹴飛ばしてくることがあったけれども、気に入らないことがあると怒って突き飛ばしてくるようになった。怒りに怒りで対抗せず、突き飛ばすという攻撃を拒絶せず捌き、叱るなら叱るというところに着地させなければならない。

怒りに怒りで対抗しないようになりたい

Android 版 Chrome では Data CompressionProxy でのアクセスが 403 になると、直接アクセスでリトライするっぽい。各サービスにおかれましては、海外からのアクセス...

Android 版 Chrome では Data Compression Proxy でのアクセスが 403 になると、直接アクセスでリトライするっぽい。各サービスにおかれましては、海外からのアクセス禁止であることを文言で表示するだけでなく、HTTPステータスコードも適切に取り扱っていただきたく。

朔は2chブラウザ対応版はそれはそれでフォークして、メインストリームとは切り離したい気がしてきた。じゃあ誰がメンテナやるんだって問題はあるけれども。ex版のときはメインストリームのメンテが実質できなく...

朔は2chブラウザ対応版はそれはそれでフォークして、メインストリームとは切り離したい気がしてきた。じゃあ誰がメンテナやるんだって問題はあるけれども。ex版のときはメインストリームのメンテが実質できなくなって、それでメインをex版で上書きしたんだよな。なのでフォークには慎重でありたい気はするが。うーむ。

引くし、引かない。引くのは間違いだし、引かないのも間違い。というと達人気取りでもったいぶったことを言ってるようだけど、 #杖術 のある動きについての自分なりの解釈です。 体の向きを変えると手の位置が...

引くし、引かない。引くのは間違いだし、引かないのも間違い。というと達人気取りでもったいぶったことを言ってるようだけど、 #杖術 のある動きについての自分なりの解釈です。

体の向きを変えると手の位置が変わるわけで、それを利用して手を引く。逆に言うと手を引くと言ってすぐに連想するように、腕を動かして手を引くわけではない。これは動きの客観的説明ということでもある。

一応納得したのでやってみようとする。手を引くのだなと思ってやると、腕を動かして手を引く動きになってしまう。逆に手を引かないのだなと思ってやると、体の向きが変わることでの手の移動を計算に入れずに動いてしまう。これは動きの主観的な説明ともいえる。

じゃあどうするかというと、いろいろ体が納得するまで検討しつつ試すことになるのだろう。

引くし、引かない、引くのは間違いだし、引かないのも間違い

先回りしておもてなし、という表現は高柳さんが言ってたと思うけど借用する。相手に手首を掴んでもらって、手首は放っといて前に歩くと手首が上がって、手首を直接上げるよりいいよね、というのは斎藤さんの稽古会で...

先回りしておもてなし、という表現は高柳さんが言ってたと思うけど借用する。相手に手首を掴んでもらって、手首は放っといて前に歩くと手首が上がって、手首を直接上げるよりいいよね、というのは斎藤さんの稽古会で体験したけど、これとか、合気道の呼吸法のイメージとかがヒントになってる。子供の手を掴んで、引っ張ったり押したりすると綱引きになってしまうので、手は放っといて、相手の後ろに回り込むようにすれば後ろに誘導できるし、相手の前斜め下までしゃがめば前に誘導できる。これが自分的には先回りしておもてなしというイメージに合う。

相手がどうなるかは一旦おいておき、こうなってるはずという状態を先に作ってしまう。結果的に迷いがなくなるという利点があるはず。またこれは胴体と腕の二力の合成でもあるはずで、今までの胴体も腕も手の位置を変えようとするのでは、独立した二力にならないのではないか。

例えば手を上げるとすれば、腕が上がる前に、上がったときの状態を肩で作ってしまう。これも肩が腕に先回りしてのおもてなしといえる。つまり体を割って同時実行することになる。通常だとやはり腕が上がってから肩が動くのだろう。それを意識の中で前後を入れ替えることで、やっと同時に動くくらいになるのだろう。

全体的にみるとよいこととも言えなくて、手が先行すべきで追い越しはよくないという原理に反している気がする。あるいは前に出る状態を作ることで、相手に技をかける準備をしてることになるし、自分が技を受けるときに感じる、相手のモードが変わって、これは技が来るなという気配に通じる気がする。

とはいえこういう感覚が出てきた以上は、追求しなければならない。

このライブラリは特定用途向けで、今回の目的で使うための機能が足りてないので、別の方法で作り直して下さい。 このライブラリは機能過多で、コードの書き方が特殊で覚えることが多く、いわば既存機能の置き換え用...

このライブラリは特定用途向けで、今回の目的で使うための機能が足りてないので、別の方法で作り直して下さい。
このライブラリは機能過多で、コードの書き方が特殊で覚えることが多く、いわば既存機能の置き換え用なので、別の方法で作り直して下さい。
ってな感じで同日に2人のプルリクを却下したし、そういうことを伝えるのは辛いが、こういうことをするのが日常になっていくんだろうし、なお辛い。

#杖術 の稽古で、壁に向かって突いたり打ったりして寸止めをするというのを、最近始めた。先日の稽古会( http://kienkai.seesaa.net/ )で久しぶりに打太刀(といっても攻撃なしで寸...

#杖術 の稽古で、壁に向かって突いたり打ったりして寸止めをするというのを、最近始めた。先日の稽古会( http://kienkai.seesaa.net/ )で久しぶりに打太刀(といっても攻撃なしで寸止めの的になってもらった)ありの稽古をしたら、ものすごく恐かったので、はてこれは何故だろうと思ったのがきっかけになっている。実際は壁ではなくハンガーに吊したシャツを的にした方がよいと聞いたことがある(壁に傷をつける恐れもあるし)。

対人で稽古をしたときの恐さの原因は今のところいくつかあると思っていて、意外と間合が近いこと、近い距離の中で杖を操作する必要があること、いつでも寸止めできる状態で杖を操作する必要があることの3つである。以下順々に書いていく。

杖の長さは130cmで、竹刀よりちょっと長いくらいなので、つい竹刀の間合で考えてしまうのだが、実際には竹刀よりも両手の幅を広げて持つので、木刀(100cm)の間合にちょうど収まるように思える。もともとが刀を相手にした型なので、当然といえば当然なのだけれども。これは恐さの直接の原因ではないけれども、残り2つと密接に関係しているので、独立した項目とした。

さて、その距離の中で杖を操作する必要がある。例えば杖の先端を相手に向けて突こうとしたとき、向きが変わる前に相手に当たってしまったら寸止めも何もないわけで、移動距離は小さくても角度は充分に変わってなければならない。それを恐れたため、無意識に一旦相手とは別の方向に先端を向けてから戻すようなことをしていた。これも近い距離に相手がいなければ、なかなか気付かないことである。この突きの動作を細かく見ていくと、上げた左手を右脇腹まで持っていくと移動距離が長すぎるので、鳩尾のところまでにしたいが、そうすると今度は手首が曲がって辛いので、その分肘を引き(というか外に開き)、その結果として腕が外旋したり、それをサポートするために半身を開くとか、そんな風にしてより体を大きく使う必要が出てくる。

一方、杖はそれなりの重さがあるので動き出せば勢いがつく。今までの動きを振り返ると、動き始めだけ力を入れて、そのあとは力を抜いて杖の勢いで腕が伸びるなどし、止めるところで再び力を入れて止めていたような気がする。これだと止めるときに止めやすい角度まで腕が伸びてくれないと困るので、思ったより距離が近ければ恐い。あるいは相手が予想外の動きをした場合に、緊急で止めることも難しい。逆にいえば、いつでも寸止めできる状態でなければならない。どうすればよいかというと、体を大きく使うことによって、結果的に可能になった。例えば腕を内旋外旋する動きを続けようとすれば力は抜けないし、突きの動きに体重移動を含めれば、それを途中で止めることもできる。実際に相手が予想外の動きをした場合にどうなるかはわからないが、実感としての安心感がある。

大きい動きの方が制御しやすいというのは、例えばネジ回しを回すよりも、自動車のハンドルのような大きい輪を回す方が角度の制御がしやすいというイメージで解釈している。ただしあまりうまい喩えではないように感じる。これは別の面からいうと、テコの原理で、同じ仕事量をどういう力と移動距離で実現するかということで、基本的に人体は最適な割り振りを経験的に知っているのだと思う。ただしその経験則には、体術で相手に技をかけるとか、杖術で寸止めをするなどの特殊なケースの場合はインプットされてないので、そういう局面でのパターンは別途学習する必要があるのだろう。そう解釈している。

こういう杖の使い方については、自分なりに確信があるにはあるのだが、一方では何年も前に習ったことと矛盾しているような気もしていて、若干気持ち悪くもある。例えば肘を外側に開くのだが、脇は閉じておけと習った気がする。手を上げる箇所があるが、ここでは手を上げないと習った気がする。手を引く箇所があるが、ここでは手を引くなと習った気がする。しかしさらによく考えてみると、脇を閉じると習ったのは別の動きでのことだったような気もするし、手を上げるなではなく肩を上げるなだった気もするし、手を引くなではなく杖を引くなだったような気もする。なんであれ、習ったことは曖昧なまま自分を縛ってしまうので、それは師匠の言葉ではなく、師匠の言葉を自分なりに解釈したものを覚えてるのだと、常に注意しなければならない。

そしてあまり関係なく子供の話。子供を保育園に連れていくと、必ずどっかに行って教室まで来てくれないので、追いかけていって連れてくるわけなのだけど、手を掴んで引っぱると綱引きのように抵抗されてしまい、膠着する。片手でもそうだし、両手同士で持ってもそうなる。そこで両手とも引くのではなく、片手は引くがもう片手は押してやると、相手は回転してバランスを崩すので、その状態を保ったまま歩けばついてくる。これはかなり前に半身動作研究会(現・動作術の会)( http://hanmidosa-waza-ari.cocolog-nifty.com/ )で稽古した動きほぼそのもので、かなりのタイムラグはあったが役に立った。この感覚は僕にとってはけっこう入りやすいもので、それまではこういう技は片手同士で効かせられなければ意味がないと思っていたが、とにかく最初はやりやすいところからやって感覚をインプットした方がよさそうだ。両手を使ってもいいんだという気付きは甲野先生のメルマガ( http://yakan-hiko.com/BN3308 )がきっかけになった。

その感覚をいろいろ検討して再現することで、片手同士でも手を引きつつ体はしゃがむとか、手を下げつつ歩いて引っぱるとかで、いくらか応用ができるようになってきた。あるいは服を着せるときに抵抗されたら、とにかくやりやすい方向に体を回転させようというようなことでも応用が効く。なんというか父親と息子という組み合わせになると、決まり事に沿って進行していくようなごっこ遊びというよりも、必然的にそう動くよなあという取っ組み合いだとかキャッチボールだとかになっていく印象があり、実際にそうなりつつあるので興味深い。

杖術の寸止めについて

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