この辺がどういう感覚だったのかなあというのが、現代の人間からみるとわからない。
剣術・剣道というジャンルであればよくて、自分の学んだ流儀へのこだわりはないのかな。
それともあくまで学校の剣道で、町道場は町道場で独自にやっていくという方針だったのだろうか。それが数十年経ってみると、独自方式というのはほとんどなくなってしまった(ように見える)のだが、それは予想外のことだったのか。
いろいろ謎だ。
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体術は15年前から稽古していて、まあうち10年はブランクなのですが、先日初めて「抑えられている手を上げる」ということができました(手を上がる系統としてはいくつもバリエーションのあるうちの、たぶん比較的簡単な「辰巳返し」)。いや長かった。僕の理解では「抑えられている手を上げることで相手を崩す」動きなので、手を上げるだけでは半分しかできてないわけですが。
体術を稽古するのはなかなか難しいことで、ここでいう体術は柔術系の動きのことなんですが、相手が必要なんですね。技をかけてかからなければヘコむのです。こないだまでは全く技がかからなかったわけだから、とてもヘコむ。人によってはたぶんあまり気にならないと思いますし、そういう人は上達速そう。
それであまり技をかける側としての稽古ははしないようにしてたのですが、一方で技がかからない時の感触はとても多くの情報を持っており、なるべく経験しておきたい。ジレンマですね。
逆に技をかけられる側としてはどうするかというのもあります。相手のリクエストに従って受けるのは大前提として、相手の技の感触をどう伝えるか、あるいは伝えないのか。
このへんの微妙な呼吸で、場の空気はいくらでも悪くなりうるんですよね。ただでさえ技がかからないのに「あなたの技全く効きませんね。ダメですね」と言われたらヘコむのはいうまでもないですが、そうでなくても、相手の厚意から出た言葉でもヘコむことはあるのです。だから非常に難しい。
あるいは逆に技をかける側として、かけようとしてかからなかったと。じゃあもう一度やってみますね、というそのやりとりでも空気が悪くなるケースがあります。言葉とかタイミングとか動作とか。
そういったことも含めて、体術の検証的な稽古は避けてきたのですが、なかなかそうも言ってられなくなるんだろうなと思います。なによりヘコむ気持ちがある一方で、技がかかるにせよかからないにせよ、感触を経験しておきたいという気持ちもあるので。
体術について