プログラムの出来がわかるのは半年後
「渋日記: きれいなソースコードを書けるようになるためには」を読んで連想したこと。 プログラムって書いたときには「わかりやすくて、きれいなソースコード書いたぞー」 って思ってるはずなんですね。 最初から出来が悪いと思ってるコードを本番環境にマージしたりはしないはず。 ところがですよ。 半年くらい経つと、新機能を追加しなければならなくなったりして、 このコードに手を入れることになるんですが、 このときに、はたして「わかりやすくて、きれいなソースコード」かというと、 そんなことなかったりするんですね。
- そもそも何をやってる関数なんだ、これ?
- どこに手を入れればいいんだろう?
- 直すべき箇所はわかったけど、 ここを直すと関数名と処理が不整合になっちゃうよな。
- 直したはいいけど、既存の機能に悪影響を与えていないかな?
- 短かった関数がどんどん長くなるよー
最初にプログラムを書いているときは、頭の中に完璧な設計図があって、 実際のコードはその設計図をきちんと反映してなく、 ドキュメントにも設計図はきちんと反映してないのですが、 とにかく頭の中の設計図をもとにコーディングして、読んでるので、 読めるんですね、きっと。 それが半年後になると、頭の中の設計図は失われ、 残ったのは不十分なソースコードのみということになってしまうと。
なので「心掛け」としては、 「頭の中の設計図を全部コードに反映させさい」ということなのだけど、 それはすぐにできるようにはならない。 もし昨日やったことを忘れてしまう薬があれば、 それを毎日飲むことで頭の中の設計図を消去し、 コードしか頼りにならないという状況を作ることで、 頭の中の設計図を全部コードに反映させるということができるのだろうけど。
20代後半とか、30代とかになると、 脳の力が衰えてきて、頭の中に設計図を保つことができなくなってきて、 コードの質を良くしないとコーディングできなくなるというのは、 あるかもしれない。