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Googleストリートビューは、気にならないとしか言いようがない

Googleストリートビュー については賛否両論あるんだけど、 僕は気にならない派です。

つか、気になる派の言ってることのほうが不気味で、 何が不気味かというと、 気になるんだということについては強い熱意が伝わってくるんだけど、 なんでそう思うのかに全然共感できないというのが、不安を呼ぶのです。 それはもしかすると、 ある日、矛先が僕に向いて、自分には全然理解できない理由で、 しかし強い熱意で糾弾されるような、 潜在的な可能性を想像しているのかもしれない。

あと、「日本人なら気になるはずだ」論も嫌いで、 僕は気にならないから「非国民」ということになんですかね。 「Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ] - higuchi.com blog」 なんですけどね。 まあそんなことまでは考えてなくて、 自分の周りの意見を日本、 Google本社の周りをアメリカとして 対比させている程度の意味だとは思うんですけど。

で、「日本人」「アメリカ人」というラベルは無視して、 「気になる人」「気にならない人」という括りだけで見るとすると、 「安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している - アンカテ」 なんかは面白くて、 路地のようなコミュニティの空間 という意識は僕にはないんだけど、 そういう意識を持っている人にとっては気になる、 というのはあるのかもしれない。

都会(新興住宅地とか)では路地がコミュニティの空間ではないから、 気になる派はイナカモノで、都会人なら気にならないんだ、 とか煽ってみようかと思ったけど、タイミングを逃したので、当面は煽らない。

Googleストリートビューについて - good2nd」 では気になる人が気にならない人に、なんで気になるかを説明しようとしていますが、 その心意気は伝わってきますが、 なんで気になるのかはわかりませんでした。ごめんなさい。

グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い[絵文録ことのは]2008/08/10」 の

ストリートビューに反対する意見は多いが、 そういう人は、「実際にはこれだけのものを通りすがりの人たちから見られている」 ということに無頓着すぎたのではないだろうか。 ストリートビューによって、外部からの視線にはじめて気付いた (あるいは意識化した)のだ。 その不快感なのではなかろうか。

というのは、気にならない人が気になる人について想像したこととしては、 僕も共感できるのだけど、 実際に気になる人がそう考えているのかどうかはわかりません。

んで、 「「住宅都市整理公団」別棟:「ストリートビュー」について都市の写真撮っている人に聞いてみたい」 の 見ることへの後ろめたさ というあたりから、 「ジロジロ見られて気持ち悪かった」というような文章を思い出して、 僕はジロジロ見られても気持ち悪くないんですけど、 そういう感覚を持つ人もいるんだというのは知っているので、 ストリートビューに対しても同じような感覚を持っているのかなあとか思ったんだけど、 当事者じゃないからやっぱりわかりませんね。

どこまでなら自分を全世界に晒されても我慢できるか(Walk Out to the World Tower): これはむずかしい。 自宅の住所は晒したくないんですが、それだって近所の人は知ってるし、 会社から尾行すればわかってしまうから、隠しても意味ないような気もして、 いずれ公開するかもしれませんが、 そのあたりに境目があるように思います。

それが嘘じゃないなら実際にUstream.tvでやってみればよい。(comzoo bookmark): 晒されるのはいいんだけど、 自分がやるなるとと面倒で、 機材の管理だとか、 隣の部屋の人とかが映り込むことでトラブルになるとかを 誰かが肩代りしてくれませんかね。

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