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失言には辞職で償えという思想か

つまりこういうことなんですね、わかります。 - カナかな団首領の自転車置き場

実名で、しかも所属や肩書きを露出している以上、 それは個人の意見ではなく、所属する組織を代表した意見であると。

故に、個人として、意見を述べるなら、 2 ちゃんねるで匿名で書くべきだということですね、わかります。

とか、しかしながら一方では 匿名は駄目で実名と所属を明らかにせよ、という主張があって、 ということはそういう主張をする人にとっては 個人の意見は必要とされてないのかなとか いろいろ連想したことについて。

まずひとつには、ある種の人にとっては やっぱり「個人の意見」が必要とされていないのかもしれません。 あるデータがあって、それを正しい手段で分析すれば、何らかの結果が出る、として、 それは誰が分析しても同じだし、 新しい分析手段が出てくれば画期的だけど、 その手段は他の人があとから検証したり再現したりできるようになっている、 という学問の世界みたいなのが想定されていて、 そこに個人の意見の入る余地はない、となっているのかなあ、と。

理想的には分析の手段の正しい正しくないがはっきり決まるとしたら、 正しい正しくないの論争にはならないので、 どこで衝突するかというと利害関係のみになるのかな。 ある政策をとるとこういう結果になる。 別の政策をとるとこういう結果になる。 それぞれは完全にわかっていて議論の余地はないけど、 どちらにどの程度のリソースを割り振るかは立場によって違う。 それなら「意見」というのはその立場を代表するものであるべきだ。みたいな。

つまりある種の理想的な議論の筋道があって、 変なノイズは入ってくるなよ、ということなのかというのが1つ目。

もうひとつは、これは 「狐の王国 看板を背負うことと、サーバリソースを使うこととの違い」 へのブクマコメント

究極的には、我々、あなた方、が、どこまで連座する社会を作りたいかというところ。 「お前の落ち度は組織に連座させるし、組織の落ち度はお前に連座させる。 俺と組織?そんなの関係ねぇ」

というのを読んで腑に落ちました。 そうか、あれは立場うんぬんじゃなくて、 罰を強化しようということだったのかなあ、と。 失言をしたら職を失うくらいのペナルティがあるべきで、 そのためには職場に苦情を入れるから名前と所属を書いておけ、みたいな。 広い意味では、犯罪者に「死刑にしろ」みたく思うのに似ているのかも。

と考えると、こっち路線は量刑の問題になってくるのかなあ。 人を殺すのは悪いことだというのは明白だとして、 だとしたら殺人には死刑をもって対応させるべきなのか、というとこれはわからない。 株のインサイダー取引とかなるともっと微妙だし、 ブログの失言となるとわけがわからない。

というのは、我々はこれは悪いことだとか、 悪いことをしてはいけないというのは教育を通じて身についているけれど、 悪いことをした場合にどの程度の罰が適当であるのか、 どう考えればいいのか、というのは普通は教育されてないやね。 たぶん法律や社内規定とかは過去の事例を集めてきてルールを作るのだろうけど、 その物差しが正しいかどうかは証明できないし、 過去の事例が具体的にどうなっているのかは、 通常の状態では把握していない。

ある意味我々の頭の中では、 殺人も万引きも等しく「悪いこと」にカテゴライズされていて、 殺人は万引き「よりも」悪いことだ、という意識はないのかもわからん。 悪いなら死刑にしてしまえ、みたいな。

そういやアメリカの陪審員は有罪無罪を決めるだけで量刑には関わらないのに、 日本の裁判員は量刑にも関わるとかあったなあ。 その辺どうなんだろう。

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