「スイスのロビンソン」懐しいなあ
「若者はなぜうまく働けないのか? (内田樹の研究室)」について。
『スイスのロビンソン』という、今ではほとんど読まれることのない児童文学作品がある。
これはスイス人一家が無人島に漂着して、そこでロビンソン・クルーソーのような暮らしをするという物語である。
その冒頭近く、漂着したあと、海岸でみんなで魚介類を集めてブイヤベースを作るという場面がある。
スープができたはいいが、皿もスプーンも人数分ないから、みんなでわずかな食器を使い回ししている。すると、子どもの一人がおおぶりの貝殻をとりだして、それでずるずるスープを啜り始めた。
なかなか目端の利く子どもである。
それを見た父親が子どもに問いかける。
「お前は貝殻を使うとスープが効率よく食べられるということに気づいたのだね?」
子どもは誇らしげに「そうです」と答える。
すると父親は厳しい顔をしてこう言う。
「では、なぜお前は貝殻を家族の人数分拾い集めようとせずに、自分の分だけ拾ってきたのだ。お前にはスープを食べる資格がない」
これ読んだときに思ったのは、 ここで叱ったらこの子供が萎縮してしまって、 次からはいいアイデアを思いついても表に出さなくなり、 家族全体の損になるんじゃないか、 この父親はずいぶん理不尽だなあ、ということなんだけど、 原作を読んだときにはそうは思わなかったはずなので、今さがしてきました。
手元にあったのは講談社の少年少女世界文学全集の24巻です。 原作はヨハン・ダービート・ウィース、翻訳は塩谷太郎。
- 次男「なんか貝みつけた。牡蠣かも」
- 父親「そんないいものを見つけたなら取ってきなさい。今度でいいけど。 こんな事態なんだから助け合わないといけないんだ」
- (中略)
- スープはできたが皿もスプーンもない。
- 次男「貝殻を使えばいいよ」
- 父親「それはよい。牡蠣をとってきなさい」
- 次男、三男が牡蠣をとってくる。
- 貝殻をスプーンにしたけど、あわてたので火傷をした。
- 次男が大きな貝殻を出して、他のもののことを笑う。
- 父親「皆のも持ってこなきゃ駄目じゃないか」
- 次男「でもあそこにいけばいくらでもあるよ」
- 父親「それがいけないんだ。 そのスープは犬にやってしまい、 冷めて皆が食べられるようになるまで待ってなさい」
翻訳の段階で改変が入ってる可能性はあるんですけど、 これなら納得がいくんですよ。 家族全員の分のスプーンを取りに言ったんだから、 自分の分だけ大きなスプーンにするのはずるいんです。
ただ今読み直したら、牡蠣を取ってきなさいという指示も微妙で、 牡蠣か、もっと適したものがあればそれ、という指示にすべきだったんでしょうけど、 無人島だし緊急事態なんだからその辺は応用を効かすべきかなあ、とか。