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情報の量と処理能力との比で対知人・対他人コミュ能力を一般化できそうな気がしてきた

オレ理論 - Akogina Sirouts博士のメモ日記 - うーんは「対知人コミュ能力・対他人コミュ能力」への言及なのかな、と思ってたら、日付が違いますね。

対他人コミュ・スキルが高くて対知人(/友達)コミュ・スキルが低い例が思い浮かばないけどなぁ。

なんの本人についての付帯情報(メタ情報)を掴んでないのに、その他人とうまく会話できるのならその人は普通にコミュ(非・非コミュ)だと思うんだけどなぁ。

逆に非コミュでも、さすがに友だちとはすでにソイツについてのメタ情報は掴みまくりだから会話に(あんまり)困るってことはないはずだけどねぇ~。

付帯情報(メタ情報)に限らないけど、 情報が増えれば増えるほど、より高い処理能力が必要になります。 文字なら純粋に言葉だけを処理すればいいですけど、 対面だったら声の調子や表情や態度なんかも処理しなければいけません。

ただし対面で非言語の情報をどの程度処理すべきなのかは、 相手との関係や文化圏によるような気もしますけどね。 僕は家族からは「言葉の内容より口調や態度が大事だ。 そういう口調では怒っているように聞こえる。 そういう態度では嫌っているように見える」とさんざん教育されてきましたけど、 就職してみたら、どうも非言語情報にはあまり重きを置かない文化っぽいので。

さて、親しくなればなるほど、過去どんな話をしたのかとか、 その人がどういう属性なのかを把握することが求められます。 新社会人だと同期が一人暮らしなのかどうかが特に重要みたいですけど、 あとは趣味とか食べ物の好みとかですかね。 「昨日は餃子を食べたんだけど」 「確か餃子は嫌いだと言ってたよね、どうしたの?」 とかそういう応答をするわけですね。

これって単純に記憶力の問題でもありますし、 仮に全部記憶できてたとしても、それを処理するとなると、 高い処理能力が必要になってきます。 結局、処理能力と情報の量の兼ね合いだと思うんですね。 あこギ~ナ先生は 処理能力が高くて、情報があればあっただけ処理できるので、 情報が少ないとかえって会話に困るんじゃないでしょうか。 逆に情報の量が処理能力を超えてしまった場合には 「あれ、怒ってる? 何かまずいこと言っちゃったかな」と焦ってみたり、 脳内のリソースのほとんどを会話に向けるような感じかな。

そんなわけで、処理に見当った情報の量を処理するコミュニケーションのスタイルが 楽なんじゃないかと思うわけです。 お店に行って注文するにあたって、 その店員さんの趣味を把握しておく必要がありますか。 はてブでちょっとコメントするのに、 そのブログの著者のプロフィールを把握しておく必要がありますか。 これらは少ない情報のコミュニケーションです。

ところがある程度親しくなってくると、 これはネット上でもそうなんですけど、 「この人はこういうコメントは好まないはずだ」みたいなことを把握してしまったり、 あるいは「それなりに親しいんだから把握しておいてくれよ」 という圧力を感じてしまったりして、 処理すべき情報が増えてしまい、しんどくなるわけです。

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