所有権の起源は曖昧らしい
「著作権に関する疑問に頑張って答えてみます」を読んで思い出したのだけど、 実は所有権もその由来を考えると曖昧なものらしい。 6年くらい前に大学の教養の授業で聴いた話を思い出しながら書くので、 どの程度正確なものなのかは知りません。 いくつもある所有権の起源の説の1つなんでしょう。
- 太古の昔には所有権も投下労働価値説もなく、荒野が広がるだけだった。 ある人が荒野に仕切りをして 「ここは我が一族の土地である。ここに畑を作る」と言い始めた。 他の人は「なんだそれは。勝手なことをするな」と言うのだけど、 「大地の神様と一族の守護神の間で話がついてるんだ。 勝手にうちの土地に入ると守護神の罰が当たるぞ」といって黙らせた。 これが所有権と、それが排他的であることの起源である。
- さて、神様同士の話というのは何かというと、 収穫の一部を大地の神様にお供えするというものであった。 のちに教会を経由する仕組みに変わり、税金の起源となった。
- 土地は一族の守護神が守ってくれるから、子孫に引き継がせることができる。 これが相続の起源である。
- のちに宗教の影響力が薄れると、 土地を開墾したからこそ土地の所有権を主張できるのだ、 という新しい解釈が生まれた。 これが投下労働価値説の起源である。
というわけで、所有権は「あって当たり前のこと」ではなく、 歴史的にはいろんな偶然の結果として出来上がってきた概念らしいです。 一族の守護神みたいな概念がなければ、相続制度はなかったかもしれません。 それでも今となっては「あって当たり前のこと」になってますけどね。 著作権は知的所有権なんていいかたもありますけど、 まだ「あって当たり前のこと」になる途中なんでしょう。 「あって当たり前のこと」になるとしたらどんな形でそうなるんでしょうか。